本屋大賞「海をあげる」に出会えた幸運
「複雑さに耐えながら生きる」という言葉を思い出しました。
この真摯さ愛と上品さは美智子上皇后の「橋を架ける」を拝読したとき以来かもしれません。
「TSUTAYA 代官山店」の宮台由美子さんが推薦していると
ネット番組の「ビデオニュースドットコム」で、宮台真司氏から聞かなかったら
たぶん手に取らなかった本です。
幸運に感謝します。
感動の読了後、本屋大賞のノンフィクション部門について知りたく、
検索すると上間陽子さんの受賞スピーチ動画に巡り合いました。
お声や佇まいの柔らかさは想像通りでした。
スピーチの内容と本の内容を紐づけてご紹介します。
本屋大賞2021ノンフィクション本 受賞スピーチから
当事者性とウイングを広げる姿勢
「(2021年の)10月から、10代のママと赤ちゃんの出産の前後
――100日間と産む前の2カ月、合わせて5カ月を応援するシェルターを24時間稼働させました。」
冒頭から、研究者だけではない、実践者であることがわかります。
上野千鶴子氏や宮崎真司氏の当事者性に深く共感する私にとって惹きつけられるポイントです。
「とはいえ、『海をあげる』という本がノンフィクション本大賞を受賞したのは、
少し珍しいことではないかと思っています。
まずひとつは、この本が持つ政治的なメッセージという意味です。
そしてもうひとつは、ノンフィクションというジャンルの拡張という意味です。」
「ああ、やはり政治的メッセージが込められているのだ…」と、
思うほど「政治的」な匂いがしない作品です。
特に嫌われがちな声高な左翼的な雰囲気はありません。
ノンフィクションとエッセイは読者層や、例え双方を好む私などでも選ぶときの気分が違います。
ウイングを広げる重要性を30年前の経験から
ずっと大切なことと考えて来た私は、わが意を得たりと思いました。
「沖縄という場所は、本当に悩ましい場所だと思います。
美しくて、ゆったりした場所でありながら~」
という言葉通り、その悩ましさゆえに私は距離を置いてしまっていました。
本土の、東京の人たちに伝えるために
沖縄の歴史、子どもの頃の習慣からエッセイを書いている時期に起こったことなどを
上間陽子氏は生活者として受賞スピーチで語っています。
そこにあるのは「平和で安全な場所」東京で生まれ育った私には想像も出来なことです。
それはまた、娘を育てている上間陽子氏にとって再び切実な問題になっています。
「私のよろこびのすべてである娘が、誰かの獲物になることを想定すること。
それがどんなにつらいことかと思いながら、娘が大きくなるのを眺めています。」
という言葉は、あとがきにある
「娘の愛らしさや変わらぬ食欲は私と夫にとって日々の楽しみであり、
まっしぐらに前を向いて歩く子どものかたわらにいることは、
この世におけるもっとも楽観的な営みなのだとつくづくそう思います」
と対になって娘を育てた私の胸に迫ります。
「小さな娘のそばで沖縄を生きる痛みを、
どのようにしたら本土の、東京の人たちに伝えることができるのか。本をまとめるとき、私はその一点だけを考えました」
この思いには、「伝わりました」とお応えしたいです。
「ただ同時に、本土の人、東京の人もまた、
痛みを感じながら生きていないわけではないと思います。」
このように、沖縄の被害的立場だけに留まらず、
本土と隔てることのない姿勢にも感銘を受けます。
自分ごとにしてもらう、たくさんの仕掛け
「自分よりも年若い方々が洗練されたやり方で、
人と人との関係を紡ぐことに、私たちの世代とは違う優しさと痛みを感じます。」
若い方々への眼差しが、なんと深いのでしょうか。
世代論を好まない私でも日々感じてしまう、
コミュニケーションの取り方の違いをこのように捉えることが出来る素晴らしさに頭が下がります。
若いかたのために「美味しいごはん」を巻頭に置いてくださったことで、
年長の私も筆者との距離がぐっと縮まりました。
「この本には「【アリエルの王国】を、目の前のあなたの問題だと読んでもらうための
たくさんの仕掛けがあります」
という告白から充分に学ばなければと思います。
「海をあげる」をひとりでも多くの人に
そして自著に対する客観的な目と愛に溢れていることは
次の言葉に現れていると思うので、少し長い引用をお許しください。
「この本が選定されたということは、ノンフィクションの意味を拡張していただき、
この本を選定対象にするために尽力された方々が、
この本をこういう明るい場所に連れてこようと思ったのではないでしょうか。【アリエルの王国】をどうやったら読んでもらえるのかを仕掛けた私とは違う場所で、
その方の持ち場で、その方の専門性でもって、仕掛けてくれたのではないでしょうか。だから私は、やはり私たちの社会は善意に満ちているのだと思います。」
最後に、客観性を超えて冷徹とも言える先の見通しを述べられています。
「今日この賞が発表されて、明日からYahoo!ニュースのコメント欄は荒れるでしょう。」
しかし、上間陽子さんの言葉はどこまでも攻撃性や自己主張とは遠いところにあります。
祈りや願いを静かに真摯に訴えています。
「どうかそこにある言葉が、自分の持ち場で動かれた方々を傷つけることがないようにと願います。
できることなら、日本中を覆う匿名性を担保にした悪意の言葉が、
どれだけ人を削り奈落の底に突き落とすのか。ここにいるYahoo!ニュースの関係者、おそらく私がこれまで会うこともなかった偉い方々に
考えていただけたらと思います。私たちが見たかったのは、本当にこういう社会なのでしょうか。」
上間陽子さんという方は、地理的、政治的水平軸も歴史的な時間軸も
自らの生活に根付いた柔らかく美しい言葉で語ることが出来る稀有な方だと感服しました。
昔よく左派陣営は要求や主張を「握って離さない」と表現しました。
でも、それは握り続けたために硬く、
離さないから誰にも届かずに陳腐化している側面が多くないでしょうか。
「優しく包み込みながらその想いを多くの人に向かって解き放つ」ことが必要だと思います。