明智光秀 ゆかりの地はどこ? 居城や菩提寺についてご紹介

光秀の墓旅行
光秀の墓
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「主君を討った謀反人」のイメージから 「領民に慕われた知将」へ

明智光秀と聞いて連想するのは
ほぼ全員が「織田信長と本能寺の変」でしょう。

しかし謀反を起こした地が
最初に浮かぶゆかりの地では哀しいですよね。

「主君を討った謀反人」のイメージよりも
「領民に慕われた知将」だったことを示す資料が発見されています。

それは「忠臣蔵」において仇討された吉良上野介が
実は名君だったことと似ているかもしれません。

ゆかりの地は大きく3カ所 大津 亀岡 福知山

光秀にも波瀾万丈の人生があったようですが、まだまだ謎に包まれています。
それでも「ゆかりの地」といわれる場所がたくさんあります。

とりわけ2020年は大河ドラマ「麒麟がくる」の主人公として注目され
各地でイベントが行われています。

https://www.jr-odekake.net/navi/rekishi_tabi_akechi/

例えば、1575年に信長から丹波進攻を命じられ、
拠点として築いたのが丹波亀山城です。

政務の場としても機能させ、村人を移住させ、
保津川を水運に利用し城下町の整備を進めました。

光秀自身は各地の攻防で不在が続き城下町が完成したのは江戸時代ですが、
丹波亀山(亀岡)の礎は光秀時代にあると言われています。

また、西国侵略への要衝として福智(知)山城と城下町を建設しました。

その際に発生した土を活用した治水対策や地子銭(宅地税)の免除により、福知山を発展させました。

福知山城の築城時には信長の敵対勢力として破壊せざるを得なかった寺院の
五輪塔などを石垣に「転用石」として利用しつつ、
寺院には新しい石材を配ったとも伝えられています。

中でも、居城や菩提寺がある一番の「ゆかりの地」大津坂本をご紹介します。

大津市坂本へのアクセス 坂本の町は国の「重要伝統的建物群保存地区」

最寄駅の「比叡山坂本駅」は京都からJR湖西線で4駅18分ほどで着きます。

京阪電車・石坂線の「坂本比叡山口駅」もあります。

びわ湖大津 光秀大博覧会(2021年2月7日まで)

https://otsu.or.jp/mitsuhide/#acc

お得なチケット 禅明坊光秀館・西教寺・滋賀院門跡 3施設セット券は
1,500円のところ1,200円になるので地域共通券での購入を
比叡山坂本駅の臨時案内所で勧められました。

しかし、そのJR「比叡山坂本駅」前の臨時案内では販売しておらず
歩いて数分の京阪電車・石坂線の「坂本比叡山口駅」の駅前に
坂本観光案内所があるのでそこで購入できると教えいただきました。

しかし、その坂本観光案内所では「地域共通券」が使えませんでした。

係の方がご親切に最初の訪問地「禅明坊光秀館」の受付では
地域共通券が使えることを教えてくださいました。

また、徒歩で25分かかるところを、
目の前にバス停があることと時刻表を見て
まもなく来ることを教えて下さり助かりました。

明智光秀の最初の城、坂本城があった門前町は石垣のある落ち着いた町


明智光秀が最初の城を構えたのが比叡山のふもとにある門前町・坂本です。

信長の命でやむなく比叡山延暦寺焼き討ちを行ったものの
その後処理を任された光秀は、坂本の復興に奔走しました。

近江志賀群5万石が与えられ、居城として琵琶湖に面した地に城を築き
宣教師フロイスが「安土城に次ぐ天下の名城」と記した坂本城です。
残念なことに、山崎の合戦で敗れた明智一族の秀満が城に火を放ち
討ち死にした史実は戦国の秘話としてよく知られています。

現在は坂本城址公園として整備され、明智光秀像の石像と
近くには光秀の供養塔「明智塚」があります。
ただし、この城址公園は湖西線の琵琶湖側にあり
比叡山坂本駅からよりも
大津駅から江若バスの下坂本下車が便利です。

坂本の町を歩いていると、石垣が多いことに気がつきます。
これは穴太衆(あのうしゅう)積みと呼ばれるもので
加工しない自然石を巧みに組合わせる技法です。

穴太衆は石工を得意とした集団で
信長は安土城の城郭に彼らの積んだ石垣を採用し
その後も江戸城、大阪城など全国の城郭に広まりました

坂本の町では穴太衆の石積みが馬場や作り道といった
昔ながらの小径が町を巡っています。
白壁の堀と調和して、しっとりとした落ち着いた雰囲気は
数百年前から時が止まったような光景でした。

坂本の町歩きや西教寺、滋賀院門跡、日吉大社へ行くには
「びわ湖大津光秀大博覧会」(2021年2月7日まで開催予定)の
パンフレットやリーフに記載されている。
「戦国ぶらさんぽ」のイラスト地図がとてもわかりやすく便利
です
たくさんの寺院や石垣も記載されています。

この城を拠点に近江を平定した光秀でしたが
本能寺の変で信長を討ち、羽柴秀吉との山崎の合戦で敗走し
坂本城に向かう途中で55歳の生涯を閉じたと言われています。

明智光秀一族の墓がある西教寺 禅明坊光秀館で近江の戦を知る

西教寺は聖徳太子が創建に関わり
室町時代には不断念仏の道場とされ
現在は全国に400を超え得る末寺を持つ天台真盛宗の総本山です。

戦国時代には比叡山焼き討ちで被害を受けましたが
明智光秀が復興に尽力し再建されました
明智一族の菩提寺である西教寺の総門は光秀が寄進したものです。

「明智光秀公資料室」にある「供養米寄進状」からは
光秀が戦没した家臣への供養米を最下級武士「中間」にも
平等に寄進したことがわかる貴重な資料です。

広大な西教寺では、拝観受付で境内図をくださいますので
それを見ながら周らないと迷子になりそう
です。
総門の一番近く右手に里坊・禅明坊があり、期間限定で公開しています。

入り口前から「麒麟が来る」のオープニングテーマが聞こえ、テンション上がりました。

長谷川光秀パネル


長谷川光秀パネルとの撮影が可能

「近江の光秀ものがたり展」では、近江の戦やびわ湖畔の数々の城を
坂本ならではの切り口で光秀や戦国時代の物語を楽しめます。
琵琶湖の重要性、周りに山城、水城がひしめく展示をみたら実際に
一つ一つを訪ねたくなります。

そうした方には下記のようなサイトが興味深く、便利です。

「近江を制するものは天下を制する」―

近江の城50選

戦国の雄が天下人への足がかりとして重要視した要衝の地、近江。
この地に築かれた城郭は1,300を超えるといわれています。

安土城や長浜城、彦根城などおなじみの城や
近年発掘され、その全貌が明らかになりつつある城など
近江の城郭を城に秘められたエピソードや、ゆかりの人物などが紹介されています。

西教寺太子堂
西教寺本堂

参道を上がり正面に勅使門の左側階段を上ると宗祖大使殿です。

立派な唐門の外からはびわ湖が臨める絶景スポットです。

また、
そこから見る唐門には
「麒麟」の彫り物があり
何百年も前から
「麒麟が居た」
と言われています。

さらに階段を上がると明智光秀一族の墓と正面に本堂があります。

重要文化財の本堂と客殿から明智光秀公資料室、書院、大本坊は
当時のままの廊下をぐるりと巡ることができます。

庭園をゆっくりと鑑賞するのも素敵です。

大本坊の寺務所ではご朱印がいただけ、お土産や休憩室もあります。

休憩室では比叡山延暦寺と日吉大社の成り立ちや
坂本の町の歴史映像を視ることができました。

広々とした休憩室で映像を視ながら足を休めましょう。

<アクセス>

■JR湖西線「比叡山坂本駅」から  江若バス7分(西教寺下車)
                 または徒歩30分
■京阪電車「坂本」から      江若バス4分(西教寺下車)
                 または徒歩25分

■湖西道路「滋賀里ランプ」より10分、「坂本北IC」より5分

滋賀院門跡(天台座主となった皇族代々の居場所)と慈眼堂

 

狩野派の障壁画や小堀遠州作の庭園でも有名な滋賀院門跡は
江戸時代末までの天台座主となった皇族代々の居場所だった格式を誇る比叡山の里坊です。

里坊とは:昔、延暦寺の僧侶は山で生涯をすごしました。
しかし、山の生活は非常にきびしかったので
江戸時代の初め頃から高齢になると、天台座主に願い出て里に住む許可を得ました。
この山下の住まいを「里坊」といい、もっとも多いときには約90ヶ寺ありました。
そのうち54ヶ寺が今も残っています。

滋賀院門跡の境域は約1万坪の敷地に

お成門(勅使門)・内仏殿・宸殿・二階書院・庫裡・台所・通用門それに6棟の土蔵からなります。

天台座主の御座所として地元では滋賀院御殿と呼ばれています。

慈眼堂は黒衣の宰相と言われた慈眼大師・南光坊天海大僧正を祀る廟所

慈眼大師は比叡山焼き討ち後の復興に力を注ぎ、
徳川家康。秀忠・家光の三代将軍に仕えました。

境内には桓武天皇・後陽成天皇・後水尾天皇および
徳川家康や紫式部・和泉式部・新田義貞の供養塔、
そして江戸期以降の歴代天台座主の墓があります。

2020年を境に
明智光秀の生涯についての関心が高まり、研究がさらに進み
司馬遼太郎の「竜馬がゆく」によって坂本龍馬が見出されたように
あらゆる作法に精通しており、朝廷や幕府官僚との折衝に能力を発揮した
知将としての明智光秀像が浸透することを願うようになった旅でした。

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