濱口監督作品の「口コミの感想」と題したのは二つの理由からです。
第一は、この2作は撮影時期と作風に重なるところがある中、
どちらを先に観たほうが良いかのお勧めです。
第二は、両作とも「合う、合わないがある」との評には賛同するものの、
悲しいほどに評価の低い口コミがあり、ほんのわずかでも作品理解の一助となればと思います。
濱口監督作品の独特な魅力について
興行的には向き不向きがハッキリしている濱口竜介監督作品が
アカデミー賞国際長編映画賞を始め数々の賞を獲得している理由は
映画独自の新しい方法への賛辞があると思います。
配信では成立が難しい作風であることと、アジアやヨーロッパ向きだという特徴があると感じました。
小津安二郎的な要素を含みながらも新鮮で、劇場映画の生き残り方を示していると思います。
2020、2021年と生の芝居は一度も観る機会に恵まれず、
演劇に飢えていた身には欲していたものが満たされた思いです。
映画でありながら、舞台で台詞を聴いているような錯覚さえ覚えました。
最新技術を駆使した、めくるめく映像や音響の豪華さはないものの
「ドライブ・マイ・カー」には【複雑で豊かな映画だと評価されている】
脚本・台詞の凄さ、音の使い方の巧みさ、それらを伝えるに十分な俳優の演技があり、
それは「偶然と想像」も同様です。
テンポが速く豪華な映像に慣れている方には、
一見「意味付けられていない」ようにみえる映像が多いことが、悲しい評価の原因でしょうか。
アカデミー賞でも配信のみの作品が対象になるなどの時代の変化の中で、
映画館で観るに相応しい作風が再評価されているのだと思いました。
音楽業界がサブスクによってイントロが短くなり、消えそうになっています。
映画も配給や鑑賞の仕方に変化があるのは技術の進歩により当然ですが、
豊かさが削られるのではなく「映画」らしさに溢れた作品が評価されることは喜ばしく思います。
「ドライブ・マイ・カー」の圧倒的な脚本
「ワーニャ叔父さん」の劇中劇の稽古描写は、
濱口監督のメソッドを表現しており、単なる劇中劇以上の入れ子構造が面白いところです。
もちろん、そのためだけでなく、「ワーニャ」役や劇中の台詞も作品に必要不可欠だと感じます。
ネット上のレヴューは賛否がことのほか分かれている本作ですが
「最後の劇中劇は要らなかった」には怒りさえ感じてしまいました。
「偶然と想像」ではそこに必然も描かれていると感じましたが、
「ドライブ・マイ・カー」では偶然より、必然ばかりが次々と現れて来るようでした。
ただ、妻が自らの語りを憶えておず、
聞いた夫の記憶をあらためて妻が書き留めているということは
パンフレットを読むまで分かりませんでした。
何時自分の中にインプットされた情報かは定かではありませんが、
主人公の妻が死ぬこと、主人公が妻の伝えたかった言葉は何かに捉われることは知っていたので、
「今晩帰ったら少し話せる?」との問いを残したまま、
遅く帰宅した夫を待たずに【自死】するのだと思い込んでいましたが、違いました。
私の思い込みとは別に、無意識に先を想像してしまう観客を裏切ってくれる驚きが
濱口監督作品の面白さの1つだと思います。
3時間を飽きさせない仕掛け、物語のわからなさ、台詞を思考する時間、
意外な展開など脚本の妙には唸ります。
ドライバーの存在は主人公にとって必然かと思わせそうに仕向けつつ、当初の理由は違います。
そして彼女の運転技術と存在が主人公に以外な心の変遷をもたらしていきます。
一方で、別の意味でドライバー設定が劇作上は必要な装置にもなっていることが後段わかります。
音声の使い方も巧みで、無音や激しい突然の音、クラシックが流れても、
聴きなれた劇判音楽ではなく、必然的な日常感に溢れていました。
ドライバーみさきは、少ない言葉から判る生い立ちや、
嘘か本当かを見抜く能力を身に着けなければならなかったこと、
卓越した運転技術(最愛の妻の唯一の欠点)など、魅力的な人物です。
サーブから二人がかざす、並んだ2本の火の付いた煙草はお線香のように見えました。
終盤で本当になるのですが。
投げた供花が妙に中途半端にしか届かないのも、象徴的に見えました。
多言語での表現は野田秀樹の演劇でも試みられているかと思います。
ただ「家福音」が伝わるのは残念ながら漢字圏だけでしょうか。
ラストは慰めと希望で終わり、後味が良かった、というような軽い言葉では表しきれません。
ワーニャ叔父さんの名台詞が韓国語手話という身体表現を伴なってアップデートされ、
提示されたのは圧巻でした。
もう一度観たいと思います。映画館で。
手元に置いてもいいかな、部屋を映画館風にして。
すっかり濱口竜介監督のファンに
濱口監督の作品を全て観たいとも思うようになりました。
(「寝ても覚めても」は残念ながら出演者が理由で除きますが)
「ドライブ・マイ・カー」と「偶然と想像」が重なり合うように、
旧作との連携にも興味を惹かれます。
特に素人の起用と5時間の長尺で話題になった「ハッピーアワー」を観てみたいけれど、
当面はそうもいかないので、まず、本を読みます。
蓮見重彦氏が
「『ハッピーアワー』を知らずに生きることは、
現代の日本社会に対する破廉恥な無知の告白にほかならぬ。
まず、見よ。そして読むこと」
と帯に寄せているのですから。
映画やドラマを観ても、登場人物にしか感情移入したことがなかった私ですが、
今回初めて、もしも自分が作り手の立場だったら、を考えてしまいました。
もしも、脚本家だったら今後どんな台詞を書いたらいいのか、演出家だったらどうするか…。
そんな新たな視点をも持つほどに、心揺さぶられるのが濱口監督作品です。
「偶然と想像」の魅力は静かな起承転結
パンフレットに掲載されている三つの解説は濱口監督自身が書いているように、
素晴らしく、もう一度観たくなる親切さです。
小説家の小川哲氏が、タイトルの軽さに反して「必然」を加えた三語を巧みに多用し、
本作の面白さを示してくれます。
ミュージシャンの柴田聡子さんの「シンキングタイム」は観劇中のエモーションを
思い起こさせてくれました。
映画監督の瀬田なつきさんは、監督と大学院入試の時の出会いとともに
「演じること、を、信じること」として、タイトル通り、浜田監督のコアな部分を教えてくれます。
出演者座談会では、この秀作の舞台裏の丁寧さがこれほどにもか、と圧倒されました。
第一話はドキュメンタリーのような会話と、速射砲のような台詞、
あっと思い、しばし考えさせられる終わり方と入りやすい作風です。
第二話の「現実を曖昧なままに受け取ることができる才能」とはとても難しいことだと思います。
ただ、何の関心もなかった男のたった一言で、標的になる変心は共感できました…。
第三話のコンピューターウイルスに侵された世界は、
コロナウイルス侵されている現実とは全く逆方向の世界のお話です。
高校卒業後の20年の生き方を振り返させられような内容でありながら、温かさに溢れていました。
ただ、38歳の同窓会から断続的な同窓会含め、その後の25年の歴史をお互いに共有する世代からは、「まだまだこれからよ」と声をかけたくなりました。