麻布競馬場「この部屋から東京タワーは永遠に見えない」を人生のネタバレする

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麻布競馬場作品を満ち足りた瞳をした吉祥寺民(ジュンク堂書店で見つけた氏の色紙より)で桜蔭OG、麻布OB息子の配偶者はJGが、人生のネタバレをしてみました。

NewsPicksのHPRIEONEで桜蔭OGの土居さんが何でタワマンに憧れるのか、新しい東京像が新鮮だったに共感し、松岡亮二著「教育格差」の小説版であり「感情格差」の物語でした。

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3年4組のみんなへ

先の番組で著者自らが「こういう話し大好き」とコメントされたので手に取ってみました。

帯(表4の)に😲

「この部屋から東京タワーは永遠に見えない」帯

夫は早稲田の教育学部から一部上場(旧)のメーカーに就職し、2年後に教師に転職しました。

東京育ちで小学3年生から教師を天職と思っての違いはありますが。

高校の教員になりたての頃のあだ名は「営業マン」でしたが、今やどこからみても教員です。

私学なので定年まであと2年、40年近くの充実した教員生活もついに終盤を迎えます。

既に定年を迎えたメーカーの同期より経済的にも恵まれているようです。

この先生はステキな先生になる

「ただ人を見下し、それでいて見下し続けるための努力もせず~惨めな人生だけが残りました」
と今年で30歳になる語り手に衝撃を受けました。

それでも最後に
「人の不幸を想像できる人になってください」
「死なず、死なせないようにしましょう」
と人生で一番大切なことを生徒に語れるこの先生はきっと素晴らしい職業人生を送れるだろうと
温かい気持ちになりました。

30歳まで独身だったら結婚しよ

「モテに依存して自己の価値観を形成させるのはダサい」と考えるのは女子御三家共通でしょう。

息子の小学校の同級生は攻玉社から一橋。
高校時代に塾が一緒になったときその勉強ぶりに驚いていました。

「バカ商」ではなく、P&Gでマーケがやりたいキャラ好きです。

かつて、あ法学部お政治学科と言われていたのに、難易度上昇に驚いたものです。

東横線の渋谷駅に(当時はまだ地上駅でした)との注は歴史的な時代の区分で、
特に井の頭線からの乗り換えが遠くなったことといったら!

半数がコネといわれる電通で「デジタルで勝負したい」彼女の上昇志向、
「ニトリの家具のあらゆる角に黒いスポンジが取り付けられた家」で小さな子のいる彼を
表現するところに巧みさを感じます。

「大豆田とわ子と三人の元夫」にハマったのは私もです。
あの味わい深さをわからないところが、坂本裕二氏の人生を知らないところが
彼女の敗因かと思います。

大江戸線の「地の底まで永遠に続くような階段を下りる元気が湧かなくて」は、
エレベーターだと実際に知らない人には「元気が湧かない」に繋がらないから
あえてだと思いますがわかります。

大江戸線のあの深さはその駅を使う見栄という気力とセットだといつも感じています。

「誰かを信頼し、また信頼されるという行為」という結婚の本質は
「自分を好きになってあげる機会が、誰かを好きになってあげる機会」
と結びついている考察に納得し、非婚化の理由の一つを見つけました思いです。

2802室

「勉強はできるが足が遅い子、というのが、僕のあの頃の不幸の本質だったと思う」
のは地方ならではですね。

東京では中学受験が見事にこの不幸から脱出させてくれるのです。

在学する中高という器の中だけの相対的なものなので息子は幸せになれました。

一方で、八戸へ赴任した息子は当初たびたび、高校は公立か私立かを訊かれ
私立だと答えると見下されたように感じたと憤慨していましたが。

私も桜蔭で当時は4つしかなかった運動部(他はバレーボールと卓球とダンス)のうちの
バスケット部に中高の間ずっと所属し、一番居心地の良い場所になりました。

50代になって、同窓会でフルマラソン完走の話しをしても
「はっちゃんはバスケ部だもんね~」と言われてしまうのです。

体育の教師に
「運動部でもあなたたちなんか、都立だったら中以下よ」と言われていたのに。

卒業後、桜蔭の中で体育科がどんな扱いだったかを
バスケ部の顧問だった体育教師は90代になっても
恨みがましいエピソードのオンパレードでした。

開成が運動会「命」みたいなのもそんなところに訳がありそうな気がするんだけれど。

それにしても本書は男子御三家の記述が見当たらない…。

別の高低差を知る大切さ

筆者がランニングに無関心だからでしょうか、ナイキで統一してキロ8分は流石にダサすぎます。

私でさえすれ違ったり、追い越し追い越される時、
相手のペース計算し、フォームをチェックせずにはいられないものなのに。

学歴が気にならない人にはならないのと同じで住む世界の違いだろうけれど、
意識高い系はランナーの割合が高いと思うけれど。

父母や祖父母に植え付けられた変な高低差をアップデートするには、
麻布の街の地面の高低差を踏みしめることをオススメしたい、けっして競馬場ではないから。

祖父や父親が自分の夢を子どもに託すのは生まれた時代の不公平、時代ガチャを感じるからです。

東京と地方以上にその格差は大きいく、学費だけをみればこの30年で猛烈に上がったけれど、
戦争があり、貧しかった時代に生きた人間は今の環境が羨ましくて仕方ないはず。

青山のアクアパッツア

30代半ばまで平日に戦闘服(靴)として9㎝ヒールが定番だったので
「ハイヒールのゴムはすぐ擦り切れた」は懐かしくもその観察力は驚きでした。

当時はなかったセクハラ(セ・リーグ)、パワハラ(パ・リーグ)Wならばセパ交流戦、日本シリーズと呼ぶとは知らず笑いました(笑いごとじゃないけれど)。

お姉さん夫婦は浜松の医大から「広尾の病院」「虎ノ門あたりの病院」とは
優秀さと院外へはプライドが上がっていくと想像していたら
キャリアを積み上げ自身を得て明るい性格になって良かったです。

院内の無用な高低差で拗らせる可能性もあったのに。

一方で「リファラル採用」のデメリット面が顕著で(笑)
港区女子は転ぶたびに悪路になっていくことが想像できないのでしょうか。

真面目な真也くんの話

真也くんが電車に乗れなく、銀行にいけなくなってもらった診断書は
パニック障害だと推測できるけれど、経験者としては
少し先の未来が脳裏に浮かんで立ちすくむのと違って、
もっと身体症状として冷や汗と恐怖で乗れなくなったのだと思いました。

でも、描写したい内面があるからあえて病名を書かなかったのでしょう。

「努力に逃げる」って知らない感覚でした。

森から飛び出たウサギ

愚かなウサギは「待ちぼうけ」を歌い続けて最後はどうなるのでしょう。

「相応しさ」
「分をわきまえる」
「分相応」
って死語?

僕の才能

小学校の家庭訪問での先生の言葉は「皮肉にもよく当たった予言」に他なりません。

わが娘は小学校の所見欄で幾度も「人のお世話より自分の頭の蠅を追うように」と書かれました。

子どもを産む30歳まで本当に手を焼かせられたけれど、その才能は「母親」として花開いたのです。

息子は麻布で「中の下ですね」と担任から言われていたら「麻布なのに慶応」。

この母は短大卒だから優秀な父と結婚できた時代だったのです。

4大卒ではすぐにクリスマスケーキを過ぎてしまうから就職も厳しかったのです。

今は無き青山学院短期大学、通称アオタンからスチュワーデスになることが最高のステータスの時代。

雙葉出身のいとうあさこさんの時代でさえ、お笑いの道に進んだのは
「女の子だから」と理系に進学することを許されなかったからだと
NHK「ファミリーヒストリー」で語っていたのには驚きました。

ウユニ塩湖で人生変わった(笑)

慶應SFCの地位も美咲ちゃん入学当時よりこの10余年でグッとあがり、
安宅和人氏の授業を取れるなんて羨ましい限りです。

「空から降ってくる何か」を待つなんて、本当にそんな女子がいるなんてどうしても不思議で、
諦めて悟ったときには人の不幸を眺めるだけなんて。

賢明とはいえないけれど懸命に生きてる美咲ちゃんには未だ見えない蓄積があると信じています。

高円寺の若者たち

中上健次と柄谷行人とは世代としては相当なものですね。

朝井リョウ氏がこれを30歳で書いたことを尊敬しています。

慶應が東大の下位互換(笑)になるのは受験科目に数学を選択できるからですが
入試科目の変更でますますその傾向は強まりそうです。

記号として消費できるだけ胆力のある彼女、
「内定者と飲むようになってすっかり変わり、居心地がいい」のは元いた世界に復帰したから。

私は麻布生のママ友の世界と、同窓会は居心地良さの復活でした。

「財閥の不動産屋なんて貴族の子息みたいなのばかりだからな」は思い当たり過ぎ。

十人足らずの麻布アメフト部⇒東大アメフト部⇒地所と不動産へ就職。

彼女がケン・ローチを語ったようにに、私は労働組合の書記局勤務を30半ばまでしたものです。

パレスホテルで結婚式⁉息子夫婦はアニヴェルセル表参道だったけど、
第二候補だったと知ったのは甥っ子の東大院卒夫婦(筑附とJG)がそこだったから(笑)

ラストはミステリー調の一編。

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大阪へ

他責の底なし沼!「親ガチャ」にもやもやし、やっと見つけた思いのこの言葉

「何か理由を付けて自分のかわいい自尊心に傷が付かないようにする。
それを繰り返した末路が、僕のこの惨めな現状なのです。」

大阪から

オチが二つもあって、とても心温まる一編でした。

お母さんお誕生日おめでとう

全く難易度の違う「税理士だったか行政書士だったか忘れましたが」に
相手への無関心と自分の無知が表現されています。

何をやりたいのか決められない幼さ、就活難易度ランキングが上位なだけが理由で就職する無知さ。

Wakatteをクローズします

息子には三島から新幹線通学のクラスメイトがいました。

東京へ週6日往復した彼と、上京と帰京の風景を心象風景になる彼の人生はきっと違うでしょう。

本書に度々登場する「地銀」は多分その地方のエリートということなのか、
静岡市内の偏差値55くらいの国立大とは、この二つはイメージが全然わかりません。

ただ、八戸赴任中の息子が言う
「慶應は知られておらず、一番有名なのが岩大」ということと符合するのかもしれません。

団塊の世代だった昔の上司は山形大学卒が誇りのようでしたが、
駅弁大学という言葉を知ったのはその後でした。

九大の先輩後輩の旧帝大すらピンときませんでした。

そんな私の息子ですが、八戸で初めての一人暮らしを三年間する中で息子はとても成長しました。

選民意識の強さ、つまり人間としての弱さを心配していたのですが、
人びとの優しさと様々な仕事の尊さを具体的に知り、尊敬と感謝を覚えたように見受けられます。

口癖は「地に足の着いた仕事」で、就職先もその価値観で選んだ自慢の息子です。

吾輩はココちゃんである

「ルッキズムがルッキズムとすら名付けられてすらいない透明な悪意だった時代」
を生きた私にはこのフレーズが本書の中で一番刺さりました。

「確かに彼女は努力したかもしれない」ことはわかりつつも
「生まれ持って授けられた美しさこそが、紛れもなく彼女の幸せの源泉だった」
としたら彼女より努力するしかない、配られたカードで勝負するのが人生というものです。
「私がクソなせいだ」とわかっているのに。

美しさを持った彼女の努力を「かもしれない」ではなく
中高時代にともにコートの中に居た私たちは確信しているからこそ温かく祝福できるのです。

大学時代にJJの特集ページに載り、
最近ではFBでドバイ滞在やタイガーウッズの復活マスターズに立ち会った様子を投稿する彼女が
中高ずっと朝練を欠かさず、皆勤賞だったひたむきさを知っているから
外からも容易に想像できる困難を乗り越えたのだろうと祝福できるのです。

ただし、モラハラ気質を見抜き、壮絶な別れ話の末に別れたのは正解でした。

どれだけの女がモラハラ男に騙されているか。

自己評価がぶれるのは何故でしょう。

「なんとなくカシオレを飲んでいただけの3年間」
「必死に生きて、いっぱい頑張った」のはペアーズだけじゃないの?

「完全な幸せが存在しないように、完全な不幸せも存在しない」ことを
ペットに埋めてもらう…子どもの数よりペットの数が増えたのはいつだったでしょうか。

本書に登場する女性の結婚年齢が早いのは地元の影響か、その手の女が周りに多いからでしょうか。

わが子たちの体感では女性は確かに晩婚化しています。

うつくしい家

その家の独特の匂いに気がついたのは夫の実家でした。

安藤忠雄建築のパクリみたいな打ちっぱなしコンクリートの賃貸マンションに14年も住んでいました。

この部屋から東京タワーは永遠に見えない

「港区アドレス」という語句にマンションを買ったとき、
同時期に販売中の近くのマンションは「武蔵野アドレス」が売りでした。

へー、価値があるんですね。

本女は知らないけれど、東女の隣なので清楚な感じを好ましく思っています。

娘がOGだったらと夢想。

同窓会主催のバザーに行ってみたら、後期高齢者のインテリマダムぶりに驚くとともに納得でした。

東京クソ街図鑑

そうそう、って感じで読みましたが、「根津」だけはバージョンアップしていて驚きました。

谷根千として注目されたころ、鶯谷駅から歩いて入谷の職場に通っていたころの話しです。

なんだか、最後は文体が似てきてしまったようです。

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