安倍政権が選挙に勝つたびに言われていたのは、
他に投票すべき先がないからという「消極的支持」でした。
野党はなぜ、支持されないのでしょうか。
立憲民主党が支持を得られない理由、
日本共産党は「正しい」ことを主張しても嫌われる理由を
「俯瞰的」「総合的」(笑)に考えてきました。
(本当は笑いごとではなく、真剣に考えるべきだと思いますが、部外者なので)
野党が正しいことを言っても人を不快にするわけ
辻元清美議員が「総理、そーり、ソーリ」と連呼していたころは、
まだ時の最高権力者に必死に食い下がる様に面白みがあったような気がします。
しかし、安倍政権以降は野党議員が語気強く追及する様子が
繰り返し放送されると不快に感じる人が多くなったのではないでしょうか。
辻元議員もその後の質問も間違ったことは発言していません。
(たまに賛同しかねることもありますが)
そもそも「質問」ですから間違ってもいいのです。
それを正すのが答弁ですから。
問題なのは、逃れられない質問に対し答弁者がのらりくらりかわそうとし、
同じ答弁を何十回と繰り替えしてきたことです。
そこを時間に制約のあるニュースや情報番組が切り取ると
野党が無意味に批判を繰り返しているように映ってしまいます。
「国会パブリックビューイング」という優れたコンテンツはとてもお勧めです。
政府側答弁の酷さが一目瞭然ではあるのですが、
国会中継を見続けるのは時間的にも難しく、精神的にもキツイのです。
志のある方々が活動をされていますが、
本来ならば公共放送のNHKがするべきだと思います。
テレビ6、ラジオ3の9チャンネルも持っているのですから
各委員会も含め放送したり、視聴者も録画して倍速で視るなど工夫すれば
いくらでも開かれた国会中継は出来るはずです。
不都合な部分の中継がされないようにする細かい工夫はされているらしいのですが。
批判ばかりでなく「対案を出せ」という意見もありますが、
それは論点が違うと思います。
国会質疑は、疑問や不正を追及する場です。
政策発表は別の場(選挙公約や党のHPなどで)でしているのではないでしょうか。
国会・地方議会をアップデートしようとしてきたか
マスコミの国会や地方自治体議会批判は的外れだと思う部分もあります。
本会議で居眠りやスマホ等の操作していたのは、
高い議員報酬を受け取りながらけしからんというよりも、
本質的で、前向きな批判はできないものでしょうか。
本会議は儀式(議論は各種委員会で)でしかなく、
賛否が党議拘束されている以上議員は無駄に拘束されているのではないでしょうか。
ましてや「出席」が義務付けられているからリモートにも出来ないとの言い訳。
テレビ電話がSFの世界だった時に成立した法律を
現在の技術に照らしてアップデートしていくのが立法府たる議員のお仕事ではないでしょうか。
アップデートできないのは、しないのはお爺さん議員が多数を占めるからでしょう。
人生50年時代ならば、経験を積んだ年配が代議士になるのも理にかなっていたでしょう。
しかし、人生100年時代に加えて日進月歩ならぬ秒進分歩で
技術は進むといわれてから幾星霜。
女性議員を増やすためのクオータ制(割り当て)とともに、
年齢も人口比を考慮しないと将来にわたる本当の議論はできないと思います。
そもそも議員数が多すぎるというご意見もあるでしょう。
しかし、それぞれの議会には具体的に議論する委員会に分かれており、
委員会ベースで考えるとどのくらい無駄があると言えるのでしょうか。
大きな困難(駆け引き)を伴う定数削減や選挙制度の変更よりも、
今ある制度をいかに活かすかのマイナーチェンジはできないものでしょうか。
野党の離合集散は内輪の論理で何も伝わらない
立憲民主党の新たな船出は果たして伝わるでしょうか
ビデオニュース・ドットコム
新民主党は新自由主義と決別できたことが重要(2020年9月24日)
かねてから立憲民主党に政策面での助言を行い、
同党のいわば理論的支柱のような存在となっている千葉商科大学の田中信一郎准教授は、
今回の合流が旧民主党の再結集に過ぎないとの見方を一蹴しています。
田中氏によると、新しい立憲民主党は新自由主義との決別を明確に打ち出し、
市場原理至上主義を否定するとともに、
「何が何でも改革」といった改革至上主義も否定している点で、
旧来の民主党とは明らかに一線を画した政党になっていると説明します。
じっくり、しっかり聞けば納得できる内容で、
2020年からの「立憲民主党」は今までとは全く違うそうです。
枝野幸男氏は本当に苦労して、一本化されたのだと思います。
しかし、残念なことに立憲民主党が今までとは全く変わったといっても、
その違いが有権者に伝わるでしょうか。
率直に言って「そんな違いわかるわけない」ことがわからないのでしょうか。
日本共産党は街頭に出るたびに票を減らしていないか
神保哲生氏は、野党統一候補によって政権奪取を図ると言っている
日本共産党にも話を聞きたいようでしたが、
今までの調子では呼ぶのも出るのも止めておいたほうが双方のためだと思います。
というのは、安保法制の議論沸騰のころ志位委員長の出演回は見ていられませんでした。
この時の志位委員長は共産党が嫌われる見本のように思いました。
具体的な内容の中には知らなかった事柄もあり、勉強にはなりました。
しかし、志位委員長の語り方が一方的な演説で聞くに堪えませんでした。
優秀なジャーナリストと社会学者と対話しながら視聴者の理解を求め、
深めることがこの番組であり、1000回を超えるゲストの皆さんは
ほぼそうした番組のスタイルに沿い、期待に応えていました。
志位さんは、声のボリューム、トーンさえTPOがわからず、
まったく「空気を読まず」重要な局面での失敗だったと思いました。
また、時々みかける駅頭などでの演説やビラ配りももはや辞め時ではないでしょうか。
とにかく高齢者だらけで、党の実態を宣伝しているようなものです。
人間の第一次情報は耳からの主張よりも視覚です。
主張の内容に至っては相も変わらず、弁士の人間性も熱も伝わってきません。
山本太郎氏の爪の垢でも…と感じます。(MMT理論に組するわけではありませんが)
2016年のある氷雨降る霞が関で
「九条の会」の宣伝活動があった時に弁士が「日本共産党は~」と間違ってしまい、
その場を通った方の「共産党はお年寄りになってことさせてんだ!」との意見を目にしました。
このエピソードは高齢者ばかりの活動問題だけでなく、
いくつかの実態を表しています。
2004年に発足した「九条の会」は日本を代表する知識人9名によって結成された
画期的な会でしたが、既に多くの方が亡くなっています。
「法案が出てから日比谷野音に集まったって何の意味もない」と
30年前に労基法改悪学習会で言わずにはいられなかった
東京法律事務所の坂本修弁護士を思い出すと、
「九条の会」は安倍第1次政権の「教育基本法改悪(2006年)」に
先駆けての、今後の右傾化を察知しての発足でした。
心から歓迎と期待を持ちつつも、具体的に何もしなかった自分自身の反省とともに、
この貴重な会を発展させきらなかったことは
左の頑張りが右の頑張りに及ばなかったことの1つの証のような気がします。
もちろん、草の根的に多種多様な「9条の会」がたくさん発足し、
全国交流集会を何度も成功させたことは知っています。
でも「粘り強く」今も会を支えているのは誰なのかが透けて見えるような言い間違いでした。
私も選挙活動の翌日など日本医労連の仕事中に
「はい、日本共産党です」と電話に出るという間違いを犯したことがあります。
電話をかけて来た相手も同志でしたので、笑い合って終わりましたが
恐ろしいことであると同時にそれが実態でした。
「アベ政治を許さない」プラカードは有効か
政権に反対する集会では「アベ政治を許さない」と力強く筆書きされた
プラカードがよく映し出されますが、いかがなものでしょうか。
筆をふるった金子兜太氏が偉大で自分たちの気持ちを代筆してくれていると
感激していても、自己満足のアピールにしか思えません。
「アベ政治を許さない」という怒りを共有する私でさえ
「あんなことはしたくない」「ああはなりたくない」とデモや集会から
人を遠ざける逆効果になってはいないでしょうか。
もう、40年も前のことが昨日のことのように思い出されます。
職場で可愛がってくださっていた先輩が、テレビで日曜討論を見て、
あの共産党の態度は何!と支持者であった私に怒りの電話をかけてこられました。
政治資金規正法かなにかのお金にまつわる不祥事があり、
法改正について各党が「前向きに」議論している中で
共産党がぶち壊しているとのお怒りでした。
20歳そこそこの私は、抜け道だらけの法改正では意味がないのではないかと、
先輩にそれなりに反論した覚えはあります。
事実、あれから40年…「政治とカネ」の透明性は一向に高まっていないので、
主張は正しかったのです。
30年くらい前の党大会の決定文書では、丸山真男氏の
「日本共産党は一貫して戦争に反対して来たと自慢するが、
戦争が起こってしまった以上、一定の戦争責任はある」旨に
真っ向から反論していました。
私は吉本隆明氏の転向論は未だ知りませんでした。
「独善的」の一言で済ませられることかもしれませんが、
2022年に創立100年を迎える日本共産党の根本問題だと思います。
津田大介氏の「あいちトリエンナーレ」での、それはそれは粘り強い実践や
「リベラル」として果敢に発信され多くのの支持を得ている方々もたくさんいらっしゃいます。
「リベラル」な方々の中には、もう共産党は終わっているからと、
歯牙にもかけない方々が多いような気もします。
しかし、現実を変えるには投票行動に結びつく必要があり、投票先が必要です。
それには何かと足を引っ張る存在の日本共産党が変わらなければならないと思うのです。