野党共闘を連合が否定する理由は「全労連(共産党系)がある限り無理」

社会
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「野党共闘で政権交代」と臨んだ2021年10月の総選挙で立憲民主党は大幅減、枝野代表は辞任。

連合の芳野友子会長が就任以来野党共闘に批判的なのは、そもそも相容れない存在だからです。

全労連トップを10年務めた坂内三夫氏から
「笹本事務局長(当時)から連合は政党(立憲民主党と国民民主党)の上あると言われた」
と聞き、成立以来の違いをリアルに思い知りました。

https://www.tokyo-np.co.jp/article/149743

財・官僚エリートと闘える知力をもった対抗エリートが不可欠なのに


2018年5月、6月に23年ぶりに元上司で、全労連のトップを10年務めた坂内さんと
2度サシ飲みして驚いたこと、左翼の後進性を思い知らされることになりました。

宮台真司氏は
官僚エリートや財界エリートと戦える知力をもった、
対抗エリート・市民エリートが不可欠
なんです」と以前書かれており、
私も大いに同意するのですが、宮台氏はたぶん実態もすでに御存知のことと思います。

それは無残なものであることをあらためて実感しました。

立憲民主党についてについてはこちらに書きましたので
この記事では全労連と共産党についての見聞を記します。

全労連を10年間率いた坂内三夫氏は「絵になる」運動を率いた

坂内さんはアジテーターとしての話術は抜群、
労働運動としては唯一無二の看護婦闘争(ナースウェーブ)の実績をもち
少なくとも1998年に全労連事務局長就任は期待されてのものでした。

主張の達成のために世論に影響を与えるパワーが必要で、
それにはまだ信頼厚かったマスメディアの新聞・テレビで
「絵になる」労働運動が必要だという視点
を持っていました。

これは左翼のなかにあって極めて重要なことだと思います。

看護婦闘争委員会事務局だった私は
「右ウィングを伸ばし運動を広げる」ことと理解していました。

人間的には首切り坂内と自ら称し、
その時々に自分に従順な人間だけを周りに、
裏切り者や自分にたてついた者は許さず、
巧妙に追い落とすところを見て来た方は多いでしょう。

人格者とは程遠いことは自他共に認めるところでしたが。

全労連は共産党の下に、連合は政党の上にいる


野党共闘を困難にしているのは立憲民主党が
「連合」に負うところ多いからであることはよく知られています。

全労連時代に坂内事務局長は
「全労連は共産党の下に、連合は政党の上にいる」と
連合の笹本事務局長に言われたことをばつが悪そうに話していました。

野党共闘の足枷になっているナショナルセンター(連合と全労連)は
必要なのかと思ってしまいます

理屈のうえでは、働く人たちを守るには労働法の整備など政治課題と切り離せないので、
その代弁者としてまとまることの必要性はわかりますが、今のままでは疑問ばかりです。

解体は簡単です。

加盟する産業別労働組合が脱退すればいいだけなのですから。

どれだけの「労働貴族」を養い、闘争資金という名の「内部留保」があるのかは知りませんが。

世間の話題になって久しい保育士・介護士不足、
近年の教師・医師の長時間労働について労働組合は何をしてきたでしょうか

保育士・介護士の方が果敢に、苦労して労働組合を作ったり、入ったりしても
産業別組織としてのまとまりは最大で福祉保育労の1万人(令和2年度)で、
あとは点在してしまっています。

教師に至っては安倍総理がヤジった「日教組」が有名ではありますが、
既に組合員数は21.9万人しかいません。

全労連発足時に日教組から分裂した「全教」に至っては、6万人です。

ついでに、全労連は発足時の150万から半減しています。

「ナショナルセンターの違いをこえて」というならば解体を

日本共産党は党の組織拡大を語るさいに最近では
「ナショナルセンターの違いをこえて」と言い出しています。

全教や自治労連など、分裂によって苦労をされてきた現場の皆さんは
どう受け止めているのでしょうか

私は日本医労連書記局に赴任した時に、
会議室の片隅に日本共産党に関するパンフレットが山積みになっているのに驚きました。

現場、虎の門病院職員労働組合では組合員を増やす
どれほど「政党支持」を機関決定していない、
共産党とは関係ない組合だからと説明してきたことか。

「医療労働者後援会」の名のもとに
どれだけ日本医労連と一体の運営が行われているか。

特に隠す様子もなく日本共産党機関紙「赤旗」には両者の会議が
同じ日に同じ場所で行われている記事が掲載されています。

11%の賃上げをさせたナースウエーブ(看護婦闘争)とは

坂内さんは1988年に日本医療労働組合協議会を連合体化し、
現在の日本医療労働組合連合会にした立役者で
40歳で初代書記長なった翌年の定期大会で「看護婦闘争」を提起しました。
(看護師の名称は2002年からなので)


社会のひずみをすべて露呈させているコロナ禍によって、
医療体制の崩壊、とりわけ施設を作っても看護師がいないこと、
看護師不足が問題になっています。

看護師不足は30年前に大きな運動があって、それなりの成果を出したことがありました。

1989年夏の定期大会で提唱された看護婦闘争は
その秋に東京医労連が日比谷公会堂から
看護婦が社会的地位と労働条件の向上を訴えるために
銀座を白衣でパレードしたことに始まります。

それを目の当たりにした各都道県医労連の幹部が即「看護婦闘争委員会」を作ったこと、
運動を「ナースウェーブ」と称したことが功を奏していきました。

看護婦(当時)つまり女性が面白楽しく活動した結果、
県庁を白衣で囲んだり、風船を飛ばしたり、
資金獲得には当時必需品だった多彩なテレフォンカードを販売しました。

金は出すが口はださなかった男性三役、野暮な抵抗や抗議でなく、
楽しく華やかだったことが世間の目を引き、
看護婦の労働条件、とりわけ夜勤の過酷さが理解されていきました。

「白衣の銀座パレード」を最初に取り上げたのは週刊プレイボーイでした。

初めてマスコミから電話があったのはFM放送局からでした。

そこから燎原の火のごとくマスコミに取り上げられるようになるのですが、
始めは「医労連」でなく「医療連」などと書かれるほど
誰も知らない単産(産業別労働組合)でした。

1990年の定期大会でスト権を確立するとなれば
NHKが取材に来て、大きな単産で初の女性委員長誕生は
4大全国紙の人物紹介欄に一斉に掲載されました。

自民党本部での朝食会に呼ばれたのも貴重な経験でした。

8時からズラリと会議室が並んだフロアは大盛況で、
私たちが呼ばれた部屋には元厚労大臣や議員、代理の秘書が100人くらい出席していました。

その活気と真摯な姿にカチコチの自民党嫌いの中執は瞬間的に自民党ファンになり、
権威に弱い中執はカチコチでビビッていました。


右ウイングを伸ばした結果、白衣の国会要請行動では
議員がこぞって白衣姿の看護婦と写真に納まり(当然選挙のためですが)、
名もなき一看護婦が津島厚生大臣の部屋にも招かれました。

人事院勧告は看護婦の給与を11%上げ、診療報酬改定にも影響を与えました。


看護協会を代表した清水嘉代子参議員がお忍びで集会へ挨拶にも来てくれました。

なぜなら1992年「看護婦確保法」成立という清水嘉代子氏最大の功績は
間違いなく日本医労連の看護婦闘争(ナースウェーブ)無しには考えられなかったからです。

コロナ禍で病院経営がひっ迫し、看護師のボーナスが減らされた理由

少子高齢化社会において医療費の増加を抑制しなければならないことは、
給与から天引きされる健康保険料や国民健康保険料の高さで実感されていると思います。

抑制せざるを得ない診療報酬制度のもと、想定されていない事態で赤字になるのは当然で
経営維持のためにはボーナスを下げざるを得ない「しくみ」なのです。

「しくみ」の外から予算措置をしても、医療従事者の手元に届くには時間がかかるからです。


診療報酬制度はその中でのパイの奪い合いになるので、
医療従事者には看護協会などそれぞれの職能団体があります。

しかし、医療従事者の給与や労働時間といった労働条件を上げるには
労働組合である日本医労連が組合員を増やし、発言権を大きくする必要があります。

しかし、看護師が150万人以上いる中で日本医労連の組合員は15万人、
最大多数が看護師でも他の多くの職種がありますから、
看護師の組織率は1割にも満たないのです。

組織拡大のチャンスを逃したのはトップが飽きたから


30年前の看護婦確保法成立時に話しを戻します。

法律は出来ても、実際に重要だったのは法律の中で
厚生労働大臣及び文部科学大臣が定めるとされた「基本指針」の内容でした。

そのためには、ナースウェーブの継続とともにそのパワーを組織拡大に向ける必要がありました。

しかし、組合員を増やすことはできませんでした…否、
増やそういう大きな運動の提起はされませんでした。


あの時が組織拡大の唯一最大のチャンスだったことは坂内さんも認め、こう言いました。

「飽きちゃったんだ」「全労連の民間部会にばっかり行ってたでしょ」と。

当時の言動はその通りですが、ナースウェーブの成果に反して
「坂内降ろし」の権力闘争があり、坂内さんを倦ませるに十分な
外的な要因があったことは付記しておきますが
「医療」や「組合員」のためが置き忘れられいたのは事実です。

組織を大きくすることこそできませんでしたが、
全労連の単産の中でただ一つ、30年にわたって
組合員数を維持している日本医労連はそれでも貴重な存在です。

そして望み通り、1998年から全労連事務局長、議長と10年間務め
リーマンショック直前に退任したのが坂内さんです。


社会問題化し大多数の国民が懸念する
「医師、教師の長時間労働」
「保育士、介護士不足と低賃金」
「災害時にさらに問題が顕在化した官製ワーイングプア」など、
全労連の姿が全く見えません。


利益を考えず倒産のない産業だから残っていて、
たたかう全労連に結集できたのに何の成果も出せず、
職場には全く意味不明の路線対立によりさらに組織率低下を招いた結果、
最大単産が労働組合ではない年金者組合になり果てるのも目前とは。


OECD諸国の「ルールある経済社会」により近づくには
本当は労働組合の力が不可欠なのに、
安倍政権から「賃上げ」「働き方改革」さらには麻生さんに
「内部留保の取り崩し」などと言われる現状
をどう感じているのでしょう。


日本共産党の得意な政権の狙いは…というロジックは不毛です。

党は看護婦確保法もワークライフバランスも否定してどんな成果があったのでしょうか。


ナースウェーブの事務局として、国会議員要請行動の相談に、
日本共産党国会議員団事務局に行ったときに見た光景は忘れられません。

日本共産党国会議員団清水事務局長が私の目の前で怒鳴り散らしていた相手は
当時の熊谷全労連事務局長でした。

歪んだ本質を目の当たりにした話しをし、
坂内さんの全労連事務局長時代はいかがだったのか訊くと、無言の肯定でした。

200万組織を展望してもビジネス書を読まないトップ

坂内さんに会う前に贈った拙著
「脱・不機嫌な女~夫・職場・子どもを変えて笑顔になる37の方法~」は
ワークライフバランスコンサルタントとして、
企業や自治体、連合系はもとより全労連傘下の国公労連や生協労連などで
講演してきた内容をまとめたものです。

タイトルは手に取っていただけるように工夫しましたが、
中身は「働き方」や労働条件そのものです。

感想は「ビジネス書を読まないのでカタカナが多いな」一言でした。

全く想像しない返答に驚きました。

ネット上の文として漢字が多すぎる欠点は自覚していますが、
カタカナが多いとは!図書館でパラパラご覧いただくまでもなく、この程度ですから。

脱・不機嫌な女―夫・職場・子どもを変えて笑顔になる三七の方法
脱・不機嫌な女―夫・職場・子どもを変えて笑顔になる三七の方法


ワークライフバランスは男女ともに生き方、働き方を見直すことですが
まったく興味をお持ちではないようでした。

何しろ、兄弟姉妹の中で義理の関係も含めて
健在な「男」は「俺だけになった」ことを喜び、
分家なので本家より高いところにある土地には住めないので
故郷には帰れなかったと嘆いていました。

東京育ちの私にはわからない地方の知恵としての封建制があることは理解しても、
職場の差別と向き合ってきた女性のことなど微塵もわからず、
家父長制と闘ってもこなかった人が
10年も闘う労働組合の全労連のトップだったことにあらためて驚きました

団塊の世代である坂内さんに、
学生運動を経験した世代が企業のくびきを離れたときには、
政治も少しは変わるのかと期待していたのにと言えば、
2018年の時点で「今に見ていろ」と言います。

同時に、集会の引率はトイレが近い老人ばかりで大変だそうです。


「定年退職したオヤジがネット右翼になっていた!」というケースがあるのも納得です。

なぜならかつての「左翼」がこれほど不勉強で凋落してしまったのですから。

サヨクの思考停止ぶりを目の当たりに

心底がっかりしたのは、私の疑問に応えるどころか
「なんでそんなことばっかり聞くの」と、
30年前は何でも偉そうに質問に答えてくれた相手が
議論もできない、思考停止したただのお爺さんになっていたことです。


何が情けないって「赤旗の読み合わせを止めさせた!」と
目を輝かせて、満面の笑みで言ったことです。

坂内三夫が語る成果かと悲しくなりました。

つい先日地方では共闘が進みつつあるとの報道があった、
原水協と原水禁の統一は無理だろうとのことでした。

良い核と悪い核の過去は遥か昔のことなのに何故でしょう。

統一しようとした方々が日本共産党を除名された歴史があるからでしょうか。

労使協調路線だと連合を批判するのに民医連(共産党系病院経営者団体)を
全労連会館に迎えているのは成果のように語っていました。

チャウシェスクは何をしていたか、ベネズエラはどうなったのか。

理想社会の青写真は無いとはいえ、内部の各種選挙に立候補の自由はなく、
努力や競争もなく成果の評価もない、上だけをみて思考停止など、
私が自分の目で見て来た日本共産党や周辺組織は中国や旧ソ連と同じに見えます


私が医労連にいた時に、当時リクルート社員だった弟と大喧嘩をしました。

労働組合について、集団になって給料アップを目指そう
とするなんて考え方が大嫌いだと言ったからです。

労組の原理から、個人競争だけでは経営者の思うつぼなんだと反論しましたよ。

でも、30年を経ての結論はある意味、弟が正解でした。

原理は正しいとしても中にいる人が成長、改革、進歩を知らず、
組織を衰退させているのですから。

上海AKBにあっても日本共産党や周辺組織にはない総選挙

上海AKBの総選挙について「選挙のない国」で若者が熱狂という記事を見た時に
ふと思い出した、私が日本医労連在職中に
書記局員が中央執行委員に立候補しようとしたのを阻み、
規約改正までしたことを覚えているか訊いてみました。

すると坂内さんは当人が後に中執になったことに対して
「そうだったかなあ、俺が中執にした?」と、
制度や自分が規約改正したことの是非には答えずに
的外れな疑問を返してくるばかりでした。


このことは、特別に坂内さんが悪いというわけではないところに
今あらためて怖さを感じています。

そもそも私が「ふと思い出した」のは先に書いたように
上海AKBの記事を見たときで、当時からつい最近まで特に疑問にも思っていなかったのです。

自分から立候補するという「暴挙」に出た人物は
毎週の書記局会議でも和を乱しがちな面倒な存在ではありましたが、
まさに内輪の論理でしか物事を考えられなくなっていました。


そもそも誰が中央執行委員になるか、委員長になるか、書記長になるかは
出身組織の大きさによる制約がはっきりとありました。

「大名制」と呼んでいましたが、組織の安定的運営には合理的でも
「民主的」とはほど遠い
ものです。

そのことは適材適所や各々の能力を活かすという組織運営の基本さえできません

坂内さんが書記長だった時に、
現在は定年後の過ごし方の見本の1つのような多彩な活動をしている桂木誠志さんは
書記として入局したために、役員でない書記局員として長く留め置かれました。

「遠い将来の共産主義社会とは能力に応じて受け取り~」とかでなかったかしら。

今から能力なんて無視されているのに、いつどこで変化するのかしら。

2014年第27回大会で神奈川労連から出た修正議案と議長立候補について

下記は全労連傘下の役員や組合員にとっては一読に値するものだと思います。

「全労連結成から25周年という節目の大会での「神奈川労連の修正提案」の持つ意味

全労連を担う人たち

メディアはほとんど触れなかったが、大会代議員を含めて参加者の関心を集め、
全労連の大会史に残る出来事として、
神奈川労連の「修正提案」と全労連議長に水谷神奈川労連議長が立候補し、
小田川議長候補(全労連事務局長)との役員選挙問題
がある。

一般紙の大会取材社は少なく、専門紙でも神奈川が事案を下ろして記事にしなかったとの声も聞く。

かつて修正案は国鉄闘争の4党合意問題でもあったが、
大会方針にかかわっては、全労連結成25周年で初めての出来事である。

関係当事者を含め大会参加者10数人の声を含めて、
この『労働戦線NOW』に史実として記録にとどめておきたい。

さらに岡本一さん(かながわ総研理事)が
「第27回全労連大会傍聴記」『NPOかながわ総研 研究と資料』(2014年8月1日、No.185)を
書いているので、「2014年全労連大会における神奈川労連の修正案、発言等」もふくめて
PDFで読めるようにした。

 ◆活用資料 2014年全労連大会における神奈川労連の修正案、発言等

 活用資料-1 全労連第27国定期大会における修正案提案と議長立候補についての総括

 活用資料-2 全労連第27回大会方針案に対する意見について

 活用資料-3 第1号議案 2014年~2015年度運動方針に対する「修正提案」

 活用資料-4 福田神奈川労連副譲長の発言

 活用資料-5 住谷副建長の発言メモ

 活用資料-6 山田事務局長の修正提案や議長立候補への対応表明


岡本さんは、
議長は誰に投票するかで、まだ立候補演説もされていない、
30数文字の決意しか判断材料がない1日目の夜に、
かなりの組織で厳しい組織的締付け・拘束が行われたことも、
産別の代議員として参加した神奈川労連の仲間から報告されている。
組織の決定だと押しつけられたようだが、
「組織」の決定は何時、どこで、誰によって行われたのか疑問が残る
」と、
過日の総評大会風の経過を書いている。

また「全労連結成後25年もたっているのに、
産別と地方で構成されているはずの全労連で、
1人も地方からの議長選出はなく、女性議長も実現していない。

民主的な組織であれば、基本的な方針は変わらなくとも、
議長に誰がふさわしいか大いに議論し、対立選挙となってもなんらおかしくない。

それで壊れるような団結ならもともと組織がおかしいのだ。

組織に自信を持って大いに議論し、立候補もし演説するなり文書で意見を述べて、
全労連の前進のための抱負を競い合えばいいと思う」と述べ、
「今後の全労連運動が克服しなければならない点もいくつか見えた大会であった」
と組織自身の民主制確立を訴えている。

http://e-kyodo.sakura.ne.jp/roudou/141011npokanagawa_no185.pdf

過去の隠蔽、改竄はお家芸だったと納得するしかない

傍聴記の中で岡本一氏が
「大会は緊迫した雰囲気の中で進行していった」
はさもあり何と感じるが、全労連新聞には微塵も感じられない、
修正案の影も形もない、今までと何ら変わりのない大会報告がなされています。

あったことをなかったことにする悪しき前例は私も経験しました。

日本医労連の関連組織で正当な手続きを踏まない不祥事があり、
定期大会で異議が噴出したことがありました。

その騒動について、実はこう解決したと自慢する坂内さんには
「あの件でご自分の正義の話をされていましたが、
責任をとって辞めされられたのは事務局の女性ただ一人だったことはお忘れでしたか。
労働者に責任転嫁するなんて、労働組合のすることかと唖然としたものでした」
と手紙に書きました。

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