AERAの「働く母と子の『学力不安』」特集(2012年1月号)は大変興味深いものでした。
WLBコンサルタントとして両親の学歴に比して
学力不振の子どもを抱えるワーキングマザーを数多く見てきました。
長年こうしたケースについて問題意識を持ってきましたが、
仕事と子育てを両立させることを応援する風潮のなか
ともすればブレーキになりかねないこうした報道は
見たことがありませんでした。三つのケースを私の経験をまじえて紹介します。
掲載されていた三つのケースを私の経験をまじえて紹介します。
ケース1 小四で勉強についていけないと判明
ある出版社勤務の女性のケースです。
小学校4年生の息子テスト結果を見て
「こんなひどい点、私は取ったことがなかった…」と感想をもらしました。
この記事を目にして、私は30年前の自分を思い出しました。
この母は「いずれ塾に入れるしかないのだろうか」と考えているようでしたが、
私は「いずれ塾」は手遅れというか、
おそらく何の役にも立たないと考えています。
むしろいまだけはがんばるべきです。
小学校低学年のときに親の帰宅が九時を過ぎるのは、
後々大きな禍根を残します。
親が不在の時間に子どもが感じた寂しさ、
まだいっしょにいることを望んでいる子どもとの
貴重な時間を失った後悔など、時間を巻き戻すことはできないのです。
もうしばらくは定時退社を目指すべきでしょう。
小4で「勉強への意欲の低さ」を感じるならば、一刻も早く手を打つべき
高校受験を控えた中学の学習は、
内容が難しいか易しいかは問題ではなく、
ひとえに「学習意欲」にかかっているものです。
低偏差値の高校はえてして学習意欲が低く、
学習以外のさまざまなことにも意欲が低い傾向があることは、
多くの人が認めるところです。
はっきりとした将来の希望もなく、
大学全入といわれる時代にあって、本人が進学を望まなければ、
親は「どんな大人になってしまうのだろうか…」と不安にもなるでしょう。
あるいは「これが大学?」という状態の大学へ
多額の奨学金という借金を背負ってまで
モラトリアム期間を延ばすのはいかがなものでしょうか。
しっかりとした高校生活を送って就職するのも
中学時代の過ごし方や学力が大きく影響しています。
1960年代後半の私の小学生時代に比べて、
1990年代の娘の時代はずっと家庭学習が必要とされていたように思います。
その後さらにその傾向は加速され、またまた加速の傾向にあるようです。
ケース2 中学受験の準備をする子どもたちとの学力差
二つ目のケースは、
息子さんの小学校入学を機に、
フルタイムから保育補助勤務に切り替えた話しです。
この母親は中学受験の準備をする子どもたちとの学力差を心配していますが、
それはもう「学力差」などというレベルのものではなく、
受験組との差は小学校在学中には別物レベルになります。
(受験を控えた特殊な状態で、中学高校での学力はまた別です)
受験組との差は小学校在学中には別物レベル
この事実をよく知らないということは、
子の学習に対するワーキングマザーの情報不足を端的に表すことに他なりません。
専業ママのネットワークならば、
高学年に長子がいる先輩ママから自然と入るこうした情報も、
ワーキングマザーはなかなか接する機会がありません。
むしろ保育園時代のほうがワーキングマザーどうし、
協力し、励まし合えてきたことでしょう。
専業ママが多い小学校に入ると、とたんに情報弱者になりがちです。
意識さえすれば、
インターネットからいくらでも情報が得られる時代ですから、
意識をもつか否かの違いは絶大です。
ワーキングマザーでもあり、
教育のプロでもある息子の小学校の校長先生は、
中学受験準備をしている六年生が、
学校のテストをものの五分で解答してしまう様を見て、
その学力差に驚いていた姿を、私は忘れることができません。
ケース3 母親自身の働き方
三つ目のケースは、
女性社員のロールモデルにならなければと考える
ワーキングマザーが登場します。
忙しいゆえに息子の勉強を見られないという理由で
管理職に留まるか否か悩んでいました。
私は長いスパンで考えて
今は管理職を降りることをおすすめします。
社内のトップランナーとして出世されても、
息子さんが意にそわない学校へ進学したり、
就職もままならない状態になったのでは、
女性社員のロールモデルとして意味がありません。
かつて私もそうだったように、
後輩女性社員は働き続ける先輩女性の子どもが
どのような中学高校生活、あるいは大学生活を送り、
就職して一人前の大人に育て上げていくさまに注目をしています。
仕事を頑張っても子育てに失敗した例は私の世代でも枚挙にいとまがない
仕事を頑張っても子育てに失敗した例は私の世代でも枚挙にいとまがありません。
たとえば、私と同じ職場にいた三人の女性の先輩は、
ともに子育てには苦労していました。
高校からの呼び出し、神経症、いじめによる転校と、
聞こえてくるのはつらい内容ばかりでした。
さらに同世代では、
親が高学歴にもかかわらず引きこもりからニートになるというケースも見聞きしています。
リベンジができる仕事、できない子育てを肝に銘じる
このような事態を避けるためにも、
小学校時代には大人の事情より子どもを優先して
しっかり育てるべきだと私は思います。
この時期さえ切り抜ければ、
中学に入ると同時に子どもは急速に親離れします。
それから、また仕事に集中そればよいのです。
管理職を続けても、息子さんの状態が好転しなければ、
高校受験、大学受験、就職と悩みは続き、
「あの時に手をかけていれば」と後悔することになってしまいます。
やるだけのことはやったという自分の中の納得感は、
仕事よりも、やり直しやリベンジが効かない子育てのほうが重要です。
一人の親として、子育てが「上手くいったか」どうかは
どこまでの学歴か、どこの学校かで計れるようなものではなく、
その子の一生を通してしかわからないと思っています。
同じように育てても兄弟姉妹でまったく違ったように育ち、
生まれ持った個性による影響がいちばん大きいというのが
多くの母親の実感でしょう。
けれども、育て方に納得できるか、後悔するかは母親自身で決めることができます。
わが娘への懺悔は終わりがない
私はかけがえのないわが子の成長に後悔の念は持ちたくないと思い、
第一子での後悔を第二子での子育てに精一杯活かしました。
第一子である長女の子育てについては、
健康と安全、しつけには心を砕いたつもりですが、
教育にまでは手が回りませんでした。
回らなかったというよりも、
夫婦ともに勉強について親に見てもらった経験がなく、
元気に学校に行ってさえいれば
それなりの成績は取ってくるものだと思っていたのです。
ところが、小学校最初の通信簿は目を疑うようなものでした。
一方で、
自分で鍵を閉めて登校し、
学童保育から一人で帰り、
鍵を開けて留守番もし、
そのあいだに洗い物をしてご飯まで炊いておいてくれる娘を褒め、
誇りにも思っていました。
こちらに生きる力を使っているのだから、
多少成績がふるわなくても仕方がないとも思っていました。
また、地アタマの悪い子ではないと信じていましたので、
学力面でもいつか力を発揮してくれるときが来るだろうと思っていました。
しかし、
算数の繰り上がり繰り下がりでつまずいたころから、
食事中にも足して一〇になる数の組み合わせ問題を出したり、
三年生の担任には「割り算が苦手なのは掛け算が完璧でないから」と
指摘されたため手作りカードを作るなど、
遅ればせながら関与を始めることとなったのです。
娘は小学校入学と同時に
進研ゼミの通信教育を始め、中三まで続けました。
私も、小学校のころは直接教えたこともありました。
中学では教材の利用の仕方も含め、
手取り足取り教えたこともありましたが、
ほとんどは手付かずのまま溜まっていきました。
この教材は大変良くできており、
都立高校の試験ならほぼ完璧な対策ができると思います。
しかし当時は十分に活用することができませんでした。
娘は都立高校に入学した後も、
まったく勉強には意欲を持たず、
大学には進学せずにフリーターとなりました。
当時から女子高生憧れのセシルマクビーでのアルバイト店員を
あっさり決めてきたので、
社会で学ぶのも大切なことだと応援していました。
ところが、
半年後には「大学生活をしてみたくなった」と言い出したため、
私たち夫婦もつきそってオープンキャンパスに出向きました。
AO入試で短大生になったものの、
やはり就職活動をせず、
卒業後もアルバイト生活を選択するようなありさまでした。
親としてはなんとかきちんと就職させたいと思い、
正社員になることを条件に一人暮らしを許してみたのです。
その後も転職のすったもんだはありましたが、
ここでようやく功を奏し、
現在は商品とともに、社員のための職場保育所があり
働き続けることの後押しで人気のサマンサタバサに落ち着きました。
意欲的に仕事をしている様子を見ると、
未熟だった親のもとでも娘なりに
親以外の世界からみごとに多くを吸収し、
自己形成してくれたものと胸をなでおろしています。
「やればできる」は中学教師の友人でさえわが子には使ってしまうけれど
「やればできる」とはよく使われる言葉ですが、こんな思い出もあります。
中学校の教員をしていた親友に、娘のことを
「やればできるのだけどやらなくて…」と愚痴ると、
「やるやらないも能力のうちよ」と一笑に付されました。
ところが当時まだ保育園児だった彼女の子供たちが中学生になり、
学力不振に悩む彼女の口から出たのが
「やればできるのだけど…」でした。
「あなたもやっと一人前の親になったわね~」と笑い合ったのです。
このエピソードは、
教育のプロでもことほど親というものはわが子の能力に対しては
親バカであり、学力にとっていかにやる気が重要か、
しかしやる気にさせることの難しさを物語っています。
子どもの学力のために、私自身の働き方を変えました
さて、娘の学力に悩むころ、
私自身もいわゆるガラスの天井に直面していました。
多くのワーキングマザーが直面する仕事と家事の両立ですが、
私の場合夫が育児休暇を取るほど分担ができる相手でもあり、
娘と息子の年が一〇歳も離れていたため、
中学生になった娘には弟の保育園のお迎えまで任せることができたため、
問題ではありませんでした。
しかし、高校受験を控えている娘のようすを見ると、
これからの息子の教育をどうするかは新たな課題でした。
そこで、当時はそうした言葉はありませんでしたが
「ワークライフバランス」、これからの長い人生を
このままの働き方で良いのか、立ち止まってかんがえてみたのです。
その結果、当時の仕事の内容からも興味のあった
社会保険労務士として独立開業し、
時間的な裁量を増やすことにしました。
そうすれば、子供たちの教育にも力を注ぐことができると考えたのです。
そこで、息子が保育園の年中・年長という
最も子育てが落ち着いている時期に勉強し、
資格をとり、開業まで漕ぎつけることにしました。
おむつが取れてから小学校に上がるまでの時期は、
比較的仕事に集中できます。
これは仕事と育児を両立している夫婦に、ぜひ伝えたいことの一つです。
小学校に上がると、想像以上に目も手もかける必要があります。
中学生時代は、子どもによっては
精神力を必要とするな子育てが求められ、
目をかけ、気にかけと意外に大変なものです。
私自身が資格取得のために勉強する後ろ姿を見せることは、
口で言ってもきかない娘の高校受験に対する姿勢にも
良い影響があるのではないかとも考えました。
しかし、
社会保険労務士の試験はちょうど娘が中三の夏だったのですが、
応援のお守りを作ってくれるなど親孝行ではあったものの、
本人が勉強に目覚めることはありませんでした。
大器晩成なのではと、
一縷の望みを持っていたものの、やはり中学に入ってからでは遅かったのです。
というわけで、私の独立開業は予定通り果たしましたが、
目論見は半分しか成就しませんでした。
息子の学力向上のために意識したこと
娘は小一で早くも算数につまずきましたが、
その原因を考えてみると、たしかに心当たりがありました。
私たち夫婦は自分たちの仕事に追われており、
休日の計画をたてる余裕もなく、
「あといくつ寝たらどこどこへ行こう」などと
約束するようなことはありませんでした。
日常生活の中でも、ゆっくりと数を数えたり、
教えながら何かをするというようなことがなかったのです。
そこで娘から学んだことを活かし、
息子に対しては早期教育やお受験のための勉強ということではなく、
幼児期から日常生活のなかで数の概念を学ばせるようにしました。
現在ではICカードが登場し
もう電車の切符を買うこともなくなりましたが、
息子が小学校に上がるころには切符の四桁の数字を
加減乗除して一〇にする遊びは出かけるときの定番でした。
これが効いたのか、息子は大の算数好きに育ってくれました。
ナンバープレートで同様のことをした友だちもいました。
仕事と子育てを両立するワーキングマザーのキーワードは
よく「量より質」とよく言われます。
そのことを否定はしませんが、
量としての時間をかけること、
ときに無駄とも思える時間をすごすことも、
とても必要だと思います。
わが家では小学生のうちは、
テレビゲームは一日一時間と決めていましたが、
その一時間も一人きりにはせず、
となりにいて絶えず会話をするようにしました。
遊ぶ時間も自分で決めるようになった中学生以降も、
仮想現実空間にのめり込み、ゲーム依存と言われるような
のめり方はせずに、適切な遊び方ができました。
息子も娘と同様に進研ゼミの通信教育を小一から始めましたが、
3年ものあいだ自ら学習を進め、すべての添削課題を提出していました。
これは、好きで得意だからこその
主体的な学習態度や自己管理能力が育っていたためではないでしょうか。
小学校2年の時に、ママ友と漢字の学習について話しているときに
「お宅はお出来になるからいいわねー」と
初めて言われたときのことを鮮明に覚えています。
私は、母になって一七年目、
初めてわが子の勉強に対する褒め言葉をもらいました。
失敗と工夫を重ねた果てに、ようやく光が見えた瞬間でした。
息子は、小学校3年の晩秋に
近所の中学受験塾の入塾テストを受けした。
まずまずの結果だったために、
受験をしてみるか否かを本人と相談の上、
受験することにしました。
そうして始まった新4年からの中学受験塾の自宅学習も
スムーズで、親がかかわったのは、小四、五年時のテストの復習だけでした。
娘を育てるときには、
「もう大きくなったのだから」と
手を掛けることを怠ってしまった小学校入学前後の数年を、
息子のときには注意深く手も目もかけました。
そうしたところ、その後の子育ては娘のときよりもずっとらくだったのです。
「子どもとの会話は多ければ多いほどいい」これが学力の基礎に
ゆったりと子どもと過ごす時間が長いということは、
会話の量が圧倒的に違ってくるということです。
いわゆる「勉強」を見ずとも、
子どもの知識に対して前向きな感性を養ったことで、
さまざまなことに対する主体的な意欲を刺激することができるのです。
もちろん長女を育てているときも、
接する時間が短いからこそ変化には敏感であろうと努め、
友だちとの不和やいじめなどにはすぐに気づくことができました。
しかし、何気ない日常会話が多ければ多いほど、
子どもの知的好奇心は刺激され、満たされるのです。
何気ない日常会話が多ければ多いほど、子どもの知的好奇心は刺激される
子どもに対し、可能な限り
その発達段階に合わせた会話を心がけていると、
子どもは何でもかんでも疑問を口にするようになります。
そのつど答えたり、調べたりする必要がありますが、
子どもが質問したり、聞いているという意識さえ持たずに
自然と様々なことを吸収していく姿を見るのは喜びです。
息子が小学生の間は
「彼の頭の中は私の知識でできている」
などと豪語していたほどです。
生意気盛りの中高生になっても、
親に教えてもらっているという意識がないためか、
ごく自然に何でも聞いてきます。
ある日ある政党の機関紙を読んでいたところ、
横から息子が「なぜこの新聞には広告が無いの」と聞いてきましたので、
理由とメリットを話しました。
数か月後の麻布中学の入試で、
新聞広告のメリット・デメリットを聞く記述問題が出され、
驚き喜んでいました。
しっかりと育った子どもは、
中二になれば親離れしていきます。
その後には再び、自分だけに時間を費やせる時が訪れるのです。
子どもが不登校やニート、引きこもりになると、
一生「子育て」から卒業することができなくなってしまいます。
三〇代前後は仕事のしがいのあるときですが、
長いスパンで見ると、
子育ての節目ごとにゆっくり子どもに向きあうことは、
逆に子離れを早めることになるのです。
そこまでいかなくても、
手がかかり、心配が長引くことは、
就活や婚活にまで親がかりとなる危険を意味しています。
これは昨今の若者世代の現状からも想像がつくのではないでしょうか。