義実家が嫌い!…変えられないものは諦める、それも人生の陰翳

人生100年時代
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夫の実家というのは、妻にとっては「変えることのできないもの」です。

「替える」こともできず、永遠に夫についてまわります。

夫の実家とのお付き合いは「異文化交流だと思え」です。

ひとつの家庭なり家族というのは最小の文化単位です。

家庭とは細々とした家事のやり方やルールの蓄積と
他人にはうかがい知れない家族関係によって成り立っているのですから、
固有の文化圏といえます。

自ら変わる勇気と周りを変える気力を持って欲しいというの私の願いだけど…

思い通りにはならないのが人生の常とは言いますが、
私はあきらめずにけっこうがんばって、
できるかぎり思い通りに生きたいと思い、半世紀余り生きてきました。


あっちにぶつかり、こっちにぶつかり、
試行錯誤をくり返し、痛く悔しい思いもいっぱいしてきましたが、
そのなかで自分自身のいくばくかの成長を感じることができ、
まわりの人々つまり家族や職場も変化しました。


しかし、自分もまわりも「変わらない」と
諦めている人が多いことをとても残念に思います。

納得の行かないことについては、
自ら変わる勇気と変える気力を持って欲しいというのは本書の願いです。

「年長者の存在と考え方は変えられない」先輩と後輩の狭間でツライ

一方で、とても変えて欲しいにもかかわらず、
変えることのできないものがあるのも事実です。

私たちの悩みにタネに、年長者の存在というものがあります。

(還暦過ぎの私さえ居ることが世界一の超高齢社会の現実です)

古代エジプトでは老人の経験と知恵を図書館にも例え尊敬を表しましたが、
そうした方々ばかりではないのも事実です。

過去の経験という大義名分のもとに
時代遅れの考えやセンスを押し付けられたり、従わされたりすることは苦痛です。


変化する現代社会や競争に勝つ必要のある企業や職場にあっては、
古い考え方や方法が進歩の阻害要因となっている場合は変える必要があります。

(それでも居なくならない老害にご苦労されていることと思います)

その必要性が希薄な親や祖父母の存在は
どのように自分のなかで消化したら良いのでしょうか。

諦めるという尊重の仕方があります。

ここで、忘れてはならないのが実の親との関係です。

個々の親子関係は個別具体的なもので、
善し悪し、濃淡は親の老化や子の成長という時間とともに変化しますが、
切っても切れない、つまり「変えることのできないもの」のひとつが親子の縁です。

親を尊敬している場合は何の問題ありませんが、
親に不満を持っている人もたくさんいます。

でも、親を「変えよう」とは思わないのではないでしょうか。

それは正しいと思います。

なぜなら、親の人生は変えようのない時代背景や
人間関係を含めた過去の蓄積のうえにあるからです。

「古い考え」は当たり前であり、変えたところでたいして誰の得にもなりません。
(やや問題になるのは孫との関わり方くらいでしょうか)

これが、職場の上司ならば、古い考えを改めさせることは
企業の利益や従業員の職場環境改善になりますが。


夫の実家が好きという人もいるかもしれませんが、
苦手だけれども愛する夫を産み育んでくれた義理の両親だから大切にしよう
と務めている妻が多いのではないでしょうか。

しかし、たとえば夫が自分の父親を反面教師として人格形成してきた場合、
舅は夫と正反対の人物ということになりますからなかなか難しい面もあります。

さらに、遺伝子には逆らえなかったり、
反発しているつもりが似てしまったりと、とても複雑です。

小姑も世に「鬼千匹」と世に言われる存在ですが、
とくにブラザーコンプレックスの場合は「鬼万匹」(笑)です。

私の実の母が自慢の兄を持ち、
尊敬や憧れと兄を取られたような嫉妬を聞かされて育ちましたので
小姑の側の気持ちもわかります。

伯母様からしたらさぞ母とその妹は煙たかったろうと思います。

夫の実家というのは、妻にとっては「変えることのできないもの」です。

「替える」こともできず、永遠に夫についてまわります

 夫の実家とのお付き合いは「異文化交流だと思え」は名言だと思いました

夫の実家とのお付き合いは、
「異文化交流だと思え」と聞いたことがあります。

確かにひとつの家庭なり家族というのは最小の文化単位です。

家事についての項でも述べましたとおり、
家庭とは細々とした家事のやり方やルールの蓄積と
他人にはうかがい知れない家族関係によって成り立っているのですから、
固有の文化圏といえます。

外国に行って経験する異文化は新鮮で刺激的だけれど、
違うからといって決して腹が立つことはありませんよね。

この境地・心境が必要とされるそうです。


私も猫をかぶり、我慢するなどずいぶんと努力もしましたが、
28年を経て水泡に帰してしまいました。

けっきょく「受け入れるだけの冷静さ」さえ持てずに、
拒み、逃げることにしました。

この件は夫との間でもしばらくお互いに大きな「しこり」として存在していました。

夫とはさまざまなことを語り合い、譲り合い、お互いを理解してきましが、
夫の実家との関わり方だけは心の整理がつかずに10年以上がさらに過ぎました。

夫の両親もとうに80歳を超え、嵐の前の静けさでしょうか。

ふだんは一つくらいそうした思いを抱えて生きるほうが、
人間としての深みや人生の陰翳になっていいと自己正当化することにしています。

「変える勇気」と「変えるべきものと変えてはいけないもの」を識別する知恵

夫も子どもも私自身も「私の家族」は変えることのできるものという以上に、
一緒に家庭を作り、家族としてお互いに成長していくものです。

夫のことはもう仕方がない、変えられないと諦める一方で
子どもに対しては、持ってはいけない「親の権力」を振りかざして、
変えてはいけないその子の主体性を踏みにじったりしがちです。

どうか、「変える勇気」と、
「変えるべきものと変えてはいけないものを識別する知恵」
を忘れないでください。

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