小山田圭吾のいじめに和光学園の「共同教育」の責任はないのか

社会

学校回答についての次の記事がヤフーニュースで配信されると
1500以上のコメントが寄せられました。

小山田圭吾〝壮絶イジメ〟の舞台となった学校が釈明「正確な説明困難」 | 東スポWEB
ミュージシャン・小山田圭吾が小中高と通った和光学園が21日、取材に答えた。 小山田は、25年以上前に行った障がい者への〝いじめ自慢〟が原因で、東京五輪開会式の音楽担当を19日に辞任。そこで本紙...


多くがそれぞれの立場にたった真摯なものでしたが
40年や25年「も」前の話しとのご意見や
和光学園の障碍児との「共同教育」をはじめとする独特な存在を
理解されている方が少ない
と感じました。

関係者からの見解や考察が求められる重大な事象だと思う理由をあげました。

90年代のサブカルについては、深掘TVの書き起こし(前編)で
宮台真司氏が詳細に説明していますが、下記の(後編)こそ重要かと

いじめや雑誌掲載の40年や25年は「も」前の古いことではない

私達62歳にとっての約40年前はまさに就職した年、
多くの友人知人が教職についた時期であり、まだ定年前、あるいは再任用されています。

学校の「30年も前のこと」という回答にはとても失望しました。

公的な記録の保存期間はとうに過ぎているとのご意見もありますが
「記録」にはなくても教員、卒業生の「記憶」にはあるはずです。

個人の記憶は立ち位置の違い、曖昧さ、記憶の上書きなどがあるものと承知しています。

だからこそ、学園の組織をあげて集団的に検証することが、学校のガバナンスとして、
在校生・卒業生を守り、学園の存続のためにも必要があるのではないでしょうか。

和光学園の歴史を考慮するとさらに罪深い

他の「自由な学校」への偏見を助長していることも悲しい事実ですが
それ以上に管理教育や警察の介入を「良きもの」とするコメントに複雑な気持ちです。

金八先生の「腐ったみかんの方程式」の警官突入場面は繰り返し放送され有名ですが
今はどのように解釈されているのでしょうか。
放映当時はショッキングで、教育に警察を介入させることは…という文脈
でした。

古い理想としては反対すべき事が、実態と世相により当たり前になり、
さらに求められさえしています。

学校や教師が守ってくれない中にあって、自分やわが子の安全を考えると無理もありません。

日本中で「教育」には1人一家言あるようです。

一人ひとりにとってかけがえのない学生時代の体験から導き出される意見は貴重ですが、
それが全てではないという自覚も必要なのではないでしょうか。

時代や地域、校風、教育や障碍者を取り巻く状況の変化を考慮されずに
論じられていることの危うさを感じたことが拙文の動機です。

そして「学校」という中の特徴として、同じ時期に同じ学校に在籍したり、
同じクラスでさえ見える景色は違います。

そうした想像力に欠けた方の意見は、弱い人々への視点が希薄でした。

豊かな感性を立派な行事などを通じて和光で学ばなかったことが不思議です。

和光学園の教育実践は価値あるもののはずだった

1980年代は学校が荒れ、管理教育が強まっていったときであり
それに反対する和光学園が言う
「子どもたちで話し合って解決する」などの重要性も増していました。

だから私は今回それが機能していなかったのかと、衝撃を受けました。

「共同教育」も障碍者の権利も教育も現在とは比べものにならなかった時代の中で
賛否はありながらも注目された「優れた」実践だと思っていました。

障碍者教育に対する助成金や教員の加配があるはずなのに
とのご意見がありましたがそうした措置が実施されたのも
「先進的な」実践や声を上げ続けた方々の努力の末の結実
ではないでしょうか。

しかし、私は今『』付きでしか語れなくなっています。

たくさんの専門家や携わってこられた方々のお気持ちは如何ばかりでしょうか。

教師や学校は教え子を忘れていない

「25年も前の」サブカル誌掲載は、一部の人間しか知らないことだから
学校としても社会的にも大きな問題にならなかったのではないかとの意見もありました。

社会的にはやっと今になってですが、出版社を始め謝罪に至りました。

学校内で雑誌掲載時などオープンになった時に何もしていなかったことが信じられません

私や周りの私立中高一貫校の教員と生徒の結びつき、記憶には驚きます。

和光学園が小中高大とあっても、その連携の程度については知りませんので
あくまでも私の周辺での状況ですが。

「あいつ今何してる」のような前向きなTV番組には
過去の同級生や恩師がたくさん登場するのにな、とのご意見が胸に刺さりました。

教師という仕事は「種まき」だと言われ
すぐに目の前で効果や影響を実感することは少なく
年月を経て報われることがあります。

和光学園からも多くの有能な人材が巣立ち
中には自著のあとがきで恩師に謝辞まで述べています。

だからこそ、逆の事態の場合にこそ学校の姿勢を表明し
振り返り検証することは極めて教育的な営みだと思います

総選挙や労働組合活動への多大なマイナス

無いことさえ攻撃材料にされる「選挙戦」で
格好のマイナス材料を提供してしまった現状を
少しでも回復するには真摯な総括しかありません。

和光学園と共産党との関係については
ナショナルセンターの全労連が「共産党系」と言われて違うというのと同様に思えます。

1980年代というのは日本共産党の党勢が最大の時期であり
今もって現役職場にどの程度影響力があるかはわかりませんが
双方とも組織として過去に責任を持つ必要はないのでしょうか。


また、連合傘下の日教組から分裂して結成された全労連傘下の全教や
その加盟組織私教連(和光学園職員組合が加盟)も知らぬ存ぜぬのようですが。

やっと教師の労働条件の酷さが問題視されるようになったのに。


労働組合自体がほとんどの国民にとって身近でない現在
労働組合の系列や争いなどご存知ない方ばかりだと思います。

しかし、2021年秋の総選挙における野党共闘の行方は
無党派層が7割の中では気になるところです。

その鍵を握るのが「連合」である以上無視できないのではと危惧します。

「当事者の」和光学園と専門家からの考察が求められる事態

「当事者の」和光学園と
それぞれの課題について長きにわたり、専門的に実践的に関わってこられた方々からの
考察が求められる事態ではないでしょうか。

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