「庵野秀明氏の手記12,000文字」が読みたくて「デザインワークス」も購入しました。
企画・脚本・総監修の庵野氏の考えを読むことによって、より納得感を得ることができました。
プロットの段階で
「彼らも害虫と判断した種は、一方的に虐殺、殲滅している。
私からみれば、同じ事案に過ぎない」という台詞があることに感動します。
「一般映画」としての枠組み
庵野秀明氏が「『エヴァンゲリオン新劇場版』シリーズの企画以前から実写作品の企画を考えていた」とは驚きでした。
2004年ころに企画検討していた作品は私にとって馴染みのないものだったので、
ウルトラマンで実現したことはとても嬉しく思いました。
さらに「ウルトラマン」シリーズの劇場映画の興行収入が10億円を超えたことがないこと、
だから「シン・ゴジラ」と同じく「一般映画」としての枠組みを目指したことは驚きでした。
そしてウルトラマンにさほど興味もなく名前を知っているだけの人にも
興行的に届く可能性を上げた企画内容と脚本を目指されたとのことです。
唯一の欠点(セクハラ、フェティッシュ、昭和的と批判されたシーン)により、
届く可能性を幾ばくかでも下げたことはたいへん残念でした。
これについての考察は、別記事にします。
ウルトラマンと主人公の融合について
主人公がウルトラマンと融合する段取りを初代と変えている理由にとても納得しました。
空想科学読本で柳田理科雄氏が指摘したことと同じく、
庵野氏自身が腑に落ちていなかった点を納得のいく形にしたのではないかと思える脚本でした。
柳田理科雄氏は公開後に次のように述べています。
「主人公の自己犠牲」しか考え付かず、力不足と謙遜されていますが、
だからこそ良かったと思えたことが3点ありました。
①主人公がひとり駆けつけるシーンは初代からのお約束と重なり、思わず笑ってしまいました
②班長の決断
③ウルトラマンの決断という大きく本質的な二つの決断に繋がっていました。
私は、いわゆる「トロッコ問題」を思い浮かべました。
損得、被害の大小で測らないという意味で。
「シン・ゴジラ」初代ウルトラマンとの世界観の繋がり
「シン・ゴジラ」との全体的な世界観の繋がりが、「何となく」にしてある理由が
「版権管理上、明確につなげることが難しい」という大人の事情とは思いませんでした。
でもここは、「何となく」が妙味として功を奏している気がします。
メインタイトルの爆発ワイプという表現の踏襲と、
本編の物語の基本を「出会いと別れ」を主題と書かれていることに感動しました。
小学校一年で、初めて特撮の連続テレビドラマに出会い、セブンで別れ、
息子とともに平成三部作で再会し、
子どもたちのエヴァンゲリオン熱に導かれ庵野秀明氏と出会い、
家族でシン・ゴジラとシン・ウルトラマンを楽しみました。
多分、ここでお別れなのも私的なメタファーになっています。
パゴス、ネロンガ、ガボラの造形が似ているとの台詞に、
当時の製作費削減のための着ぐるみ使い回しを知っているので笑いましたが、
CGモデルのコスト削減でもあると知り、
時代と手法は変わっても、変わらぬ製作費との闘いを思いました。
バルタン星人を登場させることが「諸般の事情」から選択肢に入れられなかった内実に
興味はありますが、登場しなくて良かったと思います。
あまりにも有名過ぎて、登場していたらドラマ版に引っ張られ過ぎたかもしれません。
ゾフィーがゾーフィになっている理由が記されていますが、
本作への取り入れ方、解釈も見事なものだと思いました。
続編が最初に自分がえがきたかった映像
ヒロインと主人公がバディから恋愛的な要素が台本では入っていたとは正直、驚きでした。
陽気でコミカルで真面目な芯があるヒロイン役の長澤まさみさんは
ドラマ・映画のほぼ全てで成功しているので、悲しくなるような演出でした。
女性からの好感度も高い女優さんが、今回初めて
女性からの共感が少ない役になっていないでしょうか。
「続編が最初に自分がえがきたかった映像」とはタイヘンです‼
是非とも観たい!
それには本作の興行収入次第と、書かれているのでますますの大ヒットを祈念します。
最後に、私には絶賛の声しかないと思われた「シン・エヴァ」公開後に
「批評とは思えない」内容であれこれと言われて、
かなり心を削られたと告白されていることが気がかりです。
大成功した企画書の言葉
企画書にある、下記の言葉は大成功です。
「子供向けではなく当時観ていた世代をコアターゲットとした、
大人になった今こそ観たい、ウルトラマンの世界を目指す」
「連続物のフォーマットの劇場映画への置き換え、再構成」