2020年12月31日の朝日新聞に以下のような取材記事が掲載されました。
掲載記事の内容
目先の収入以上の先行投資
「旦那さんのほうが、収入が少ないの?」
27年前、長男が生後4カ月のとき職場復帰した武部純子さん(61)は、
同僚たちからかけられた言葉が忘れられない。
夫の信隆さん(61)が、純子さんと交代で育児休業に入り、
家で子どもの面倒をみていると伝えた際のことだ。
労働組合の中央組織の職員として、仕事が生きがいになっていた純子さん。
私立学校の教員をしていた信隆さんが、
純子さんの復帰のタイミングで4カ月の育休を取ることを話し合って決めた。
結婚・出産を経て働き続ける女性は多くなく、
イクメンという言葉もなかった時代。
前年の1992年4月に「育児休業法」が施行されたが、
当時の男性の育休取得率はわずか0・02%。
権利としては実現したものの、
性別分業意識はまだまだ根強く、育休中の所得保障もなかった。
*
純子さんも会う人ごとに驚かれたが、信隆さんはなおさら。
もちろん、勤め先で初の「男性育休」取得者だった。
校長は背中を押してくれた。
しかし、担当する授業や部活を代わってもらわなければならなかったため、
同僚の中には否定的な意見も少なくなかった。
それだけに、保護者会で報告するとき、バッシングも覚悟した。
しかし、意を決して話した後、保護者から返ってきたのは意外な反応だった。
「先生、おめでとう」「頑張ってくださいね」
誰からともなく温かい拍手が起こり、心底ほっとした。
「時代は変わっていくだろうと感じました」
純子さんがひとときに投稿したのは、
そんな信隆さんの育休期間の折り返し時期。
2人の立場を変えたことで、育休中の純子さんの気持ちや状況が
そのまま信隆さんにも現れたことが面白く、書き残しておきたかった。
世界最高レベルの制度(2022年4月、10月さらに改正)
それから30年近く。
育休を巡る制度は拡充され、ユニセフの調査では、
先進国でも日本の育休制度は最高水準とされている。
「でも、実態はまだまだ」
40歳のときに社会保険労務士などの資格を取って独立し、
現在はワークライ
フバランスコンサルタントとして働く純子さんは、苦笑いする。
長女(36)が子どもを産んだ6年前、
パートナーも1カ月の育休を取得したが、それも勤め先で初の男性育休だった。
2019年度の男性の育休取得率は7%台。まだまだマイノリティーだ。
*
純子さんは、信隆さんが育休を取得している当時から、
「育休は将来への先行投資になる」と考えていた。
「なぜ夫が?」と不思議がる周囲にも、そう伝え続けてきた。
男女ともに仕事の一線から退くリスクや、
子育てだけに追われる閉塞(へいそく)感など、
短期的にはマイナス面が気になることもある。
しかし、夫婦の長い時間軸で見たときは、別の様相が見えてくる。
「働くこと」や「子どもを育てること」を、
どちらかが我慢したり、無関心だったりするのを放置せず、
対等に、真剣にかかわったという事実が、
その後の相手への信頼や尊敬の土台となり、財産となり得るからだ。
子どもたちが思春期を迎えたとき。進学などで悩みを抱えたとき。
「このときは大変だったね」「そんな時期もあったね」。
めまぐるしく過ぎていった子育て時代の思い出を共有する時間が、
いまの夫婦の楽しみだという。
「わだかまりが残っていたら、当時のことを話すことも、
一緒に思い出すこともできなかった。
お互いに働いていたからこそ、
相手の転職や独立などのキャリアアップも支えられました」
2人の意見が一致しないこともあったが、
常に対等な存在として向き合ってきた。
その自負が、子どもたちが巣立ったいま、夫婦2人で過ごす時間を豊かにしている。(中井なつみ)
■夫婦交代で育児休業 1993年11月4日掲載(東京本社版)
育児休業の無かった十年前、生後八週の長女を一時間半かけて職場保育所へ連れて行きました。今年四月に生まれた長男は、私が二カ月半、交代して夫がただ今四カ月間の育休をとって育てています。
育児休業中は夫婦ともにまったく同じ症状が現れました。
(1)息子の日ごとの成長に目をみはり、唯一の生きがいとなり、育児は尊い仕事だとつくづく感じる
(2)料理のレパートリーが増える
(3)テレビがお友達でチェックが異常に厳しくなる
(4)長女に対して口うるさく、ヒステリックになり後悔する
(5)夫(妻)が仕事でイキイキしているとわけもなくイライラする
(6)習いごと、通信教育、はては井戸端会議に関心を持ちその必要性を感じる。
(7)とは思いつつも一日にメリハリが無くアッというまに夕方になってしまい自己嫌悪に陥る
(8)必要とする情報の種類が変わったために、使っている脳の場所が変わってしまった
かのように、新聞の本文よりチラシ広告に興味を持ちよく読むようになる――。短い期間の経験ですが、子育てに専念している女性の大変さを味わうことが出来、男も女も人間としてそう違いはなく、その時担っている役割によって気持ちが変わるものだと気付きまた。
双方の職場の理解と協力に感謝するとともに、祖母や母の時代の苦労の上にある、社会の進歩を感じます。当時には考えられなかった多様なライフスタイルを、男も女も選び、人間らしく生きることが出来るようになってきました。
職場復帰後、仕事と職場の人たちに、今まで以上に愛着を感じています。
(東京都杉並区 武部純子 団体職員 34歳)
*年齢・肩書などは掲載当時
■仕事と両立、立ちはだかる「壁」 退職の選択、無念や後悔/ワンオペ状態にため息
家事に育児、それから仕事。これらに取り組もうとしたときの見えない「壁」が、
いつも女性たちを悩ませ、ひとときにもつづられてきた。
「育児休業」の文字が初めて登場したのは1989年3月。
神奈川県横須賀市の高校教員だった主婦(当時28歳)の「退職決意した現実の壁」だ。
「中学生のときから『教師になろう』と思い続けてきた。
決して、腰掛けのつもりで就職したわけではない。
社会の中での自分の可能性を、仕事を通して試してみたいと思っていた。
中途退職なんて、考えてもいなかった」
様々な子育て支援の情報を集めて出産を迎えたものの、
育休から復帰した1カ月後に子どもが入院するなどし、
退職を選ばざるを得なかった無念が記されている。
2005年にも、出産後に仕事を辞めたという千葉市の主婦(当時46歳)が
「仕事続けていたら」という思いをつづった。
「長女を生んで1年後、家庭の事情で退職した」
「身体的にも精神面でも強い方ではないので、続けていたら体調を崩したかもしれないし、
子どもたちにも寂しい思いをさせたかもしれない。
それでも、『仕事を続けていれば』という思いが今も頭をかすめる」
自分の選択に後悔はしていなくても、かつての仲間と会った時に複雑な気持ちを抱えた。
夫婦のどちらかに育児負担が大きくのしかかる様子を指す「ワンオペ」という言葉も出現。
17年に埼玉県新座市の主婦(当時46歳)が「子育てはモヤモヤ」の中で記した。
「常に選択を迫られ、それを実行し、結果に責任を持たなければならない。
すごいプレッシャー。ワンオペ(すべて1人で担うこと)なのだ。
皆がそうだと分かっていても、ついため息が出る」
16年、京都府八幡市の小学校教諭(当時39歳)は、
育休から教職に復帰することを控え、知人から
「自分の子どもほっておいて、人の子どもをみるのって変じゃない?」と言われた。
「私の中には母親としての自分も、子どもたちとの授業が大好きな教師としての自分も存在する」
「様々な家族のありようと親たちのがんばり、子どもの育ちがある」
育休中に自身の思いと向き合ったといい、投稿をこう結んだ。
「春よ、こい。家族みんなでわたしたちの家族のかたちをつくっていこう」
◆対象にしたひとときの投稿は、朝日新聞データベースで検索できる1988年4月以降のもので、東京、大阪、名古屋、西部の各本社版のみの掲載も含んでいます。
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