学級崩壊と学級集団づくり 「いじめ」や様々な障害児の二次被害回避

子育て
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夏休み明けは哀しい報道があったり、二学期はクラスの中で様々な問題が顕在化する時期です。

児童・生徒、保護者、教員が多種多様ならば、
学校や自治体の姿勢も旧態依然としたところが多く問題を長引かせている例もあります。

ただ、それぞれの初動を間違わなければ好転することもあります。

子どもたちのいじめ問題や学級崩壊から学んだことをお伝えします。

教師は未熟な人間だからまず警戒心をもたれないようにする

保護者は「先生だからこうあるべき、こうすべき」と思い過ぎてはいけません。

教師は「保護者に責められている」と感じてはいけません。わが子を愛しているだけです。

保護者と教師との信頼関係が薄らいでいる現状ですが、
児童・生徒を仲立ちに信頼を深めるための話し合いを心がけましょう。

保護者側の冷静さと教師・学校の誠実さを保つ努力が必要だと思います。


警戒や疑心暗鬼でなく、信頼を回復できれば
こじれることを避けられる場合がおおいのではないでしょうか。

息子の学級崩壊で目の当たりにした教員の力量の差

4月になると親の間で交わされるいわゆる「先生の当たりハズレ」論議

4月になると親の間で交わされるいわゆる「先生の当たりハズレ」論議は、
身内に教員がいるので好きではありませんでした。
娘が小学生になった30年以上前から多種多様な教員と接してきましたが、
教師集団のハーモニーの中で育つものと考えてきました。

また、私自身が小学校の優等生から私立中学進学校で落ちこぼれ、
一方体育は小学校時代は苦手だったのに中高では運動部で
還暦過ぎた同窓会でもスポーツ得意な人扱いされてしまうので
「すべてが相対的なもの」と思っています。

保護者会を繰り返す中で事態が少しずつ明らかに

ところが、息子が小学校5年生時に話しに聞く「学級崩壊」に初めて遭遇しました。

2学期初めはうるさ型の保護者が先生と数人の女子の「校外学習の班決めの不正⁉」
を問題視したのですが、私を含め多くの保護者は「先生も大変ねえ」と思っていましたが、
その後息子が先生に反抗する悪男子3人組の一人に
20代の女性教員と多くの女子から認定されたのです。

家で息子が先生の一方的な決めつけに涙で反論しても、
私達親は先生がそんな風に児童をわざと悪くきめつけることはしない
と諭したくらいでした。(後に事実が判明し息子に丁寧に謝りました)

クラスは荒れ、保護者会が繰り返される中で
教師のヒステリックな言動が次第に明らかになりました。

その時に、保護者集団が暴走しないよう上手にまとめてくれたのは、
元小学校教員の保護者でした。

3学期には毎時間教頭がクラスに入りましたが、
それでも一向に改善されませんでした。

教頭が監視役のように教室後方に立っていても児童間の関係はわかりません。
息子が登校を渋るようなあだ名をつけられていることを告げても
「あれは」と笑いながら解説する始末で実情を話すと二の句が継げなくなりました。

私は校長に来年度も担任が同じなら転校させる旨伝えました。

担任交代であっという間に落ち着き、称賛されるまでに


6年になると、ベテランの男性教師が他校から赴任し担任になると、
あっという間に落ち着きを取り戻すどころが、
称賛されるようになったのは魔法のようでした。

クラスのメンバーは誰一人変わっていないのにも関わらずにです。

若くて人気のある先生もいますから経験の多寡よりも
「力量」という言葉がしっくりきました。

きっかけは小山田圭吾問題記事への反響から

東京オリンピック開会式直前になっての小山田圭吾の「いじめ」(傷害等)問題の
舞台が親友だった人が今も勤務する和光学園だったことに
大きなショックを受け、下記の記事を書きました。

この記事についてのツイートに返信くださった狸穴猫/松村りかさんの下記noteを拝読し、
「学級集団づくり」の名の元にこんな実態があったことに本当に驚きました。

他の関連するnoteも勉強になりましたが、私なりに読み解くことで、
多くの子どもたち、保護者、教員により有効なものになるのでは、
何より「いじめ」(傷害等)や発達障害を持つ人々の二次被害の回避に繋がって欲しいと思います。

「学級集団づくり」を問う|狸穴猫(まみあなねこ)|note
とりあえず、うるとらざっくりの概説からスタートします。 「学級集団づくり」の源流 「学級集団づくり思想」の現場での萌芽は、地方の貧困家庭の子どもの学級内での関係性が、その地域の大人の力関係の影響を受けないようにというところからスタートしたと思われます。 主だった流れは時代的には1950年代後半からと思われます。...

「学級崩壊」を防ぐために必要とされている「学級集団づくり」

「学級集団づくり」に対して厳しく警告されていますが、
今多くの書籍のタイトルにある「学級集団づくり」は
松村さんが経験されたものとは違う、少なくとも歴史や違う文脈で
おそらくは若い教員が求めているのではなでしょうか。

現役の若い教員が「学級集団づくり」に求めているのは
「学級崩壊」への恐怖や危惧、対策だと思います。

そうしたタイトルの書籍がかつての「思想」を
どの程度反映しているかは検証が必要ですが、
団塊の世代の教員の影響力はその世代に「59年反動」の年に生まれた人間が現場に!
と、驚かれた40年前就職世代の感覚では
「先輩、後輩関係での指導技術の伝達」は無いと思います。

さらに、団塊ジュニア世代の50代になろうかという教員は、
先輩教師からの教えや影響よりも「自分の受けた教育や環境」に大きく縛られており
「管理教育」という言葉さえ知らずに当たり前の指導だと思っているようです。

一番恐ろしいことは、モンスターペアレントがモンペと称されるようになって
教師は目の前の児童・生徒よりその親と、
校長の権限が強化されて以降は管理職のほうを見ていることです。

優越づけとしての「学校<家庭」は家族旅行や受験のための欠席という事象からも伺えます。

「小学校時代の反省会吊し上げといじめの日々をつらつら書いてみる」
その1と2のような経験をされては現在のようなお考えになるのも当然だと思います。

「学校こそが地域や家族から子供を自由にし、
子どもの(民主的)人格の発達を促せる場である」という前提は
1950年代後半、封建制が大きく残る地域や家族に対置した形で
民主的な学校をと考えられたことと私は理解しています。

家父長的家族観や「3歩(尺)下がって師の影を踏まず」と言われて来た
教師という存在から自由になって自分の意見を発言することが重要だったのでしょう。

「民主的」という言葉は表面的には誰も反対できないから要注意だと思っています。

共産党の中では自らを「民主勢力」と呼びながら「民主集中制」という名の独裁に見られるように。

「自由民主党」は私利私欲への自由と足の引っ張り合いという民主主義かな。

教員の大幅増と優れた資質と最高度の研修が必要

あえて「優れた資質」としたのは
教員を始めとした関係者は「謙虚で繊細」であることが欠かせないと感じたからです。
権力的、思考停止や鈍感さや時代の制約はあれど、
狸穴猫さんに「集団学級づくり」のもとで
小山田圭吾の被害者に「共同教育」のもとで
あれほどの苦難をを児童に与えてしまった根っこであると思います。


必要なことは明白なのになかなか実現しないのが残念ながら現実です。

最後に「共生社会」に希望を見いだせる素晴らしい実践をご紹介します。

10年足らずの間に、実践と検証を繰り返し
自らの組織も社会的役割りお大きく発展してきた
「ブラインドサッカー」

ブラインドサッカーに学ぶ、パラリンピックを100倍楽しむ方法(松崎英吾日本ブラインドサッカー協会専務理事) -マル激
カテゴリー「2020年東京オリンピック・パラリンピック」「サッカー」「障害者」  自国民が緊急事態宣言下に喘いでいるという時に、世界中から1万を越えるアスリートを集めて華やかなスポーツ大会を開催するというのが、常軌を逸しているとの謗りは免れない。しかし、何があろうともオリンピックをやらないわけにはいかないというのが、現...

教育や共生社会、多様性について多くの示唆を与えてくれています。

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